2022/09/18

●U-NEXTで『遠くへ、もっと遠くへ』(いまおかしんじ)を観た。変な言い方だが、普通にとても良かった。確か、林由美香の『たまもの』でもそうだったと思うけど(随分観ていないので細かいところは覚えていないが)、ふわっとした感じの「かまとと」とも言われてしまいかねないような女性を、こんな感じで生き生きと魅力的に捉えることができるのは、いまおかしんじだけではないかと思ってしまう。「ヤッホー」とか「スキップ」とか、普通に考えれば「あざとい」としか見えない女性の行為が、いまおかしんじの映画の中にかぎっては、そこにまさに生きた人物がいる、と感じられるものになる(「あざとさ」が生きていることの切実さを表現するようなものになる)という不思議さ。そしてこの女性(新藤まなみ)が、夫との離婚を考えていたり、悩みもあるにもかかわらず、終始一貫して「上機嫌そう」でありつづけているところが素晴らしいと思った(夫と喧嘩するシーンを除いて)。「あざとさ」がそのまま、「上機嫌でありつづけようとする意志(の切実さ)」のようなものとしてあるように見える。

(女の「ヤッホー」も、夫の「ウホッ、ウホッ」も、逃げた妻の「カニ歩き」も、どれも「切実さ」の表現であり、とても素晴らしい。)

(男―吉村界人―と妻との再会シーンの演出――ビニールの仕切りを使った――も素晴らしい。)

夫と別れた女と、妻に逃げられた男が仲良くなり、しかし男は妻への気持ちを断ち切れないままでいる。そこで、男と妻との関係にきっちりと方を付けるために、逃げた妻を探して二人で旅にでる。それだけと言えば、それだけの話だ。女は別れた男のことをすぐに忘れるが、男は別れた女にいつまでも執着する、というのも、紋切型と言えば紋切型だ。二人は、共に旅するが、男が妻との関係に決着をつけるまで性行為はしない。そして決着がついた後、二人は深く激しい性行為に没入する。ここにもまあ、特に捻りはない(しかしこの部分はしっかりと丁寧に描かれていて、そこはピンク映画の監督としてのこだわりであるだろう)。捻りもなく、普通であっても、十分に良い映画として成立し得るということをこの作品は示している。

男は不動産屋で働いている。女は、夫と別れた後に暮らす部屋を探している。部屋を確保してから、夫に別れ話を切り出そうと考えている。しかし、部屋が見つからないうちに、夫の方から別れ話を切り出される。行き場を失った女は男の部屋へ転がり込み、そこからすぐに、男の逃げた妻を探す旅に出る。つまり、女は「自分のための部屋」を見つけることなく、この映画ではずっと移動中で仮住まいである。

東京から栃木、札幌、そして小樽へと移動し、なんとかサハリンまで行けないかと考えるが、そこで行き止まって(しかしなお、もっと遠くを志向しつつ)映画は終わる(小樽の海はアンゲロプロスギリシアの海のようだ)。男の妻との決着は札幌で既についているのだが、女の祖父が現ロシアの土地で生まれたのだというので、できるかぎりそこに近づこうとする。

(男女が、女性のルーツの土地を目指して北へ向かうというのは『ドライブ・マイ・カー』を思わせるが、さすがに、栃木から札幌へは車では移動しない。栃木では青い車、北海道では赤い車に乗っている。)

そもそも、女のルーツへの遡行は、たまたま逃げた妻が札幌にいたことからの「ことのついで」であった。だが、札幌までの旅では、女は男の付き添い人でしかなかったが、そこから先は、逆に男が女の付き添い人となる。そして、さらに「遠く」を志向するのは、男ではなく女だ。旅は、最後に海に突き当たる。海は、前方への果てしない拡がりであると同時に、それ以上先へは進めない行き止まりでもある。

この行き止まりでも女は、「あざとい」くらいに「上機嫌」である。