●レヴィ=ストロースが、神話と音楽の類似性を述べたあとに、神話も音楽も、言語から生まれて異なる方向へと発展した《二人姉妹》のような存在だといっているのがおもしろい。言語には、音素、語、文という三つの階層がある。音楽には、音素にあたる楽音と、文にあたるフレーズがあるが、語にあたるものがない。神話には、語にあたるもの(神話素?)と、文にあたるものはあるが、音素にあたるものがない、と。以下『神話と意味』第五章「神話と音楽」より引用。
(ここでレヴィ=ストロースのいう「音楽」は、17世紀から近代までの西欧音楽、いわゆるクラシック音楽と呼ばれるものに限定すると強調されている。「小説」が登場して神話的な思考が後退したかのようにみえる時期---17世紀ごろ---に、それと入れ替わるように音楽の新しい---神話的な--様式がはじまった、と。)
《類似の面を述べますと、神話は音楽の総譜とまったく同様、一つの連続的シークエンスとして理解することは不可能だというのが私の主要な論点です。小説や新聞記事を読むように、一行一行、左から右へ読もうとしたのでは、神話は理解ができないと気づかねばなりません。神話は一つの全体的なまとまりとして把握しなければならないのです。また神話の基本的な意味は、ひとつづきに連なるできごとによって表されているのではなくて、いわば“できごとの束”によって表されていること、しかもそれらのできごとは物語の別々の時間に起こったりすることをはっきりさせる必要があります。したがって神話は、多かれ少なかれ、オーケストラの総譜と同じような読み方をしなければなりません。つまり一段一段ではなく、頁全体を把握することが必要です。頁の上の第一段に書かれていることが、それより下の第二段、第三段などに書かれていることの一部分だと考えて初めて意味をもちうるのだ、ということを理解しなければなりません。つまり、左から右へ読むだけでなくて、同時に垂直に、上から下にも読まなければならないのです。各頁が一つのまとまりであることを理解する必要があります。》
《たとえばバッハの時代に形をととのえたフーガ形式は、ある種の神話、つまり二人の人物ないし二群の人物が登場するような神話の進み方に驚くほどそっくりそのままの表現です。(…)そのほか、ソナタ、シンフォニー、ロンド、トッカータなど、いろいろな音楽形式と同じような構成をもつ神話や神話群があることを明らかにすることができるでしょう。それらの形式は、実は音楽がほんとうに作り出したのではなく、無意識のうちに神話の構造から借りたものなのです。》
《言語、神話、音楽の関係を理解しようとすれば、どうしても言語を出発点にしなければなりません。そうすれば、音楽も神話もともに言語から発するものでありながら、それが別々の方向に分かれて成長しているのだということがわかります。また、音楽は音の面を強調しますが、それがもともと言語に根ざしたものであること、それに対して神話は意味の面を強調しますが、これもまた言語に根ざすものであるということも明らかになります。》
《さて、音楽と言語のあいだの比較は気をつけなければなりません。ある範囲ではごく密接でありながら、同時に、驚くほどの相違点があるからです。たとえば、現代の言語学者たちは言語の基本要素は音素だと言っています。音楽(おそらく誤植でここは「音素」だろう)とは---不正確ながらおおざっぱに言えば---アルファベットの文字で表される個々の音です。それ自体に意味はありませんが、それを組み合わせて意味の弁別をすることができます。ド・レ・ミ・ファなど、音楽に用いられる一つ一つの音それ自体には意味があのません。それはただの一楽音です。それらの楽音の組み合わせによって、私たちは音楽を作り出すことができるのです。したがって、言語の基本的素材としての“音素”(…)と同じようなものが音楽にもあると言って差し支えないでしょう。》
《しかし言語では、つぎのレヴェルでは“音素”が組み合わせられて“語”になり、さらに語が組み合わせられて“文”になります。ところが音楽には“語”に相当するものがありません。基本的素材である音を組み合わせると、いきなり言語の“文”にあたるもの、すなわちフレーズ(楽句)になります。》
《このように考えると、神話は音楽と言語の両者に比べうることになります。ただしつぎの相違点があります。すなわち、神話には音素がなくなて、もっとも下位の単位は語です。したがって、言語をパラダイムと考えるとすれば、そのパラダイムは第一に音素、第二に語、第三に文によって構成されていることになります。音楽には音素に相当するものと文に相当するものがありますが、語にあたるものはありません。神話では語に相当するものと文に相当するものがあって、音素にあたるものはありません。ですから、どちらの場合も、レヴェルが一つ欠けていることになります。》
《音楽と神話とは、いわば、言語から生まれた二人姉妹のようなものですが、別々に引き離され、それぞれ異なる方向に進んでいます。ちょうど神話の人物のように、一方は北へ、他方は南へと進んで行って、二度と出会うことはありません。そういう事実に気づいてみますと、音を用いて作曲することは私にはできなかったけれども、もしかしたら、意味を用いてそれをすることはできるかもしれないと思ったのです。》