2022/01/24

『犬からみた人類史』という本をパラパラと読んでいる途中だが、第一部「犬革命」の第五章「イヌとヒトをつなぐ眼」(今野晃嗣)に興味を惹かれた。

ヒトは、サルからヒト化するときに、横長で白目と黒目のコントラストがはっきりした、顔のなかでも目立ち、そして視線を読みとりやすい眼へと変化した(サルの眼は顔の中で目立ちにくいし、視線も読みとりにくい)。それにより、視線を通じた個体間協働を発達させることができるようになる(大勢で狩りをする時に視線で合図するなど)。視線協働型の眼とは、見るための眼であると同時に、他個体と視線によってコンタクトをとる表現的な眼でもある。同じく、イヌの祖先であるオオカミもまた視線協働型の眼をもっていて、他個体と視線でコンタクトする。ヒトとオオカミとでは、身体の構造も情報の取得や伝達の方法も大きく異なる。しかし、共に視線協働型の眼をもつことで、視線接触による交流が可能だったにちがいない、と。

(ここでおもしろいのは、イヌがヒトとの関係のなかでヒトにかわいがられるような姿に変化した、ということよりも、オオカミとヒトとの敵対的な関係が、敵対しながらもなお持続し得た---つかず離れずで関係が破綻しなかった---ことの原因が、互いが互いの眼の中に自分と似たものを見ていたからである、ということの方だ。オオカミは敵対するヒトの眼のなかに、自分たちにも理解可能な何かがあることを感じ、ヒトもオオカミの眼のなかに尊厳のようなものを感じたからこそ、長い時間のなかで両者の関係が近づくこと---共生関係の成立---が可能となった。「眼の見た目」というイメージが---理解可能な内面を想起させることで---両者を媒介した。)

《(…)眼を思わせる視覚刺激は、それを見る個体の視覚的注意をすばやく捕捉する。とくに、私たちは相手がこちらを見ているかどうかをすばやく検出できる。というのも、多くの動物にとって、相手と「目が合う」こと、すなわち視線接触は、個体と個体の交流の出発点だからだ。個体間の視線接触は、「回避」か「接近」かの葛藤的状況を生じさせ、その個体に強い情動を喚起させる(…)。通常、相手からまっすぐ自分に向けられた視線は「敵意」や「怒り」として解釈され、回避行動を引き起こす。一方、親和関係または協力関係にある個体間で交わされる視線について、「好意」や「愛情」を示すと解釈され、接近行動を引き起こすこともある。ただし、動物の行動全体から考えると、視線が親和的信号として作用するのは一般的ではない。》

《(…)眼と視線は個体間交流における相手の内的状態を知るための社会信号として機能するが、それだけではない。(…)私たちは、他者の視線の方向に敏感に反応し、さらにその視線の先にある対象を気にする。》

《(…)ヒトの眼は顔における位置がわかりやすいだけでなく、白目(強膜)と黒目(虹彩と瞳孔)の対比が際立っている。そもそも、強膜に着色がない文字どおりの「白目」をもつのは、ヒトだけである。(…)簡単にいうと、サルの眼は目立たないが、ヒトの眼は目立ちやすいし、視線の方向もわかりやすいのだ。》

《このことは、ヒト以外のサルが眼や視線を隠蔽するように進化してきたのに対して、ヒトは眼の位置や視線方向を顕在化させ、どこを見ているかを他者に明示するように進化してきた可能性を示唆する(…)。たしかに、個体間競争の文脈では、眼を目立たせることにより他者に眼と視線を読みとられることは損失につながる。たとえば、動物を狩るヒトの補食戦略からみれば、目立つ眼でみずからの存在や狩猟の意図を獲物に知らせるのは得策ではない。また、同種内の資源をめぐる競争の文脈でも、目立つ眼をもてば、意図せぬ威嚇の信号を他者に伝えてしまうことで無用な攻撃を受けたり、おいしい果実の在り処を他者に伝えてしまうことで先に食べられてしまったり、繁殖相手への関心を相手に察知されてしまうことで繁殖機会を逃がしてしまったりするかもしれない。》

《一方、利害が一致する協力関係にある個体間では、互いに役に立つ情報を交換すればするほど個体の利益が増大するだろう。》

《この考えを指示する証拠として、霊長目では強膜の露出度および眼の横長度と集団サイズおよび大脳新皮質比率の間に正の相関があることが見いだされている(…)。つまり、目立ちやすい眼をもつ種ほど集団が大きく大脳新皮質が発達しているのだ。ところで、ヒトは集団サイズと大脳新皮質の比率が最大の種である。(…)ヒト以外のサルの多くは、集団内での無用な争いを避けたり安定した個体関係を構築したりするためにグルーミングと呼ばれる毛づくろいに時間を費やす。しかし、集団が大きくなればなるほど直接的な身体接触を伴うグルーミングを多数の個体に行うことが難しくなる。そこでヒトは、大規模集団を維持するための効率的な方法として「目立つ眼」を介した視線信号に基づく交流能力を発達させ、その適応として顕著性の高い眼が進化してきたのではないかという仮説が提案された(…)。》

《次に、オオカミとイヌの眼をみていこう。彼らの眼は強膜がほぼ隠れているため、ヒトの眼と完全に同じ見た目をしているわけではない。しかし、イヌの祖先種であるオオカミの眼は、ヒトの眼に匹敵するほど目立つのだ。(…)オオカミの虹彩は明るく金色に輝いており、その中心に黒い瞳孔がぽつりと沈んでいる。それから、まるで歌舞伎の隈取のように、眼の周囲の黒い皮膚が金色の虹彩を取り囲んでいる。(…)ヒトの眼と同じく、オオカミの眼も相手と目が合っているかどうかが明らかな視線強調型の眼といえそうだ。》

《(…)この研究者たちは、イヌ科における視線強調型の眼が集団での狩猟など同種個体間での視線を使った情報伝達装置として機能する可能性を指摘している(…)。さらに彼らは、オオカミがとくに目立ちやすい眼をもち、相手に視線を向ける行動も多いことから、現代のイヌがヒトと共生関係を築くときにも、オオカミから受け継いだ他個体の視線を読みとったり他個体に視線信号を送ったりする行動が重要な役割を果たしかもしれないとも述べている。》

《では、イヌの眼はどうだろう。(…)結論からいうと、イヌの眼はオオカミの眼とは異なる進化を経ているようだ。(…)もっとも明らかなちがいは、イヌの眼は虹彩が黒っぽく暗いため、虹彩と瞳孔の色の対比が小さいことである。(…)それゆえ、イヌの眼は顔のなかでどこに位置しているかはわかりやすいが、眼のなかの虹彩と瞳孔の境界があいまいであり、両者がまとまって一つの大きな「黒目」にみえる。オオカミの「眼光するどい」眼と比べると、イヌはだいぶ「黒目がち」の眼をもつようだ。》

《イヌにおける黒目強調型の眼の獲得は、初期のイヌとヒトとの共生関係の成立と深く関わっていると考えられる。》

《オオカミからイヌへの分岐が生じたとされる時代は、今から時を遡ること一万五〇〇〇年から三万年。当時のオオカミは、現在のオオカミと同じく森林や荒原といった環境に適応した種であり、ヒト社会との距離は必ずしも近いわけではなかった。しかし、一部のオオカミ、つまりイヌの祖先は、新たなニッチとしてヒトの集落に目をつけた。》

《しかし、少なくとも、ヒトは自分の社会に大型捕食動物の進入をやすやすと許すほど寛容ではなかったはずだ。(…)このように、初期のオオカミとヒトは、利害が競合する関係において「目が合う」ことになった。当時の両者の視線接触がもたらす情報は、脅威や攻撃や恐怖といった敵対的信号だった。》

《ただし、オオカミとヒトの眼の見た目が似ていることは、当時の両者の交流を支える重要な基盤となった。(…)オオカミにとっては、ヒトの視線信号を適切に理解する能力を磨くきっかけになったかもしれない。ヒトにとっては、オオカミに対する生物学的関心や畏敬の念を深めるきっかけとなったかもしれない。「犬猿の仲」といえる当時のオオカミとヒトの関係において、眼と視線を介した交流は両者をつなぐ数少ない連結点だった。》

《(…)ヒトからの危険を避けることに加えて、ヒトに攻撃されたり排除されたりしづらいような関係をつくってしまうことが望ましい。その一つの戦略として、みずからがヒトに脅威を与える存在ではないことを示すという手がある。また、ヒトにかわいがられたり守られたりする存在になることができればなおよい。》

《では、なぜイヌの祖先がもつ黒目強調型の眼がヒトへの敵対信号を弱めるとともに、イヌとヒトの共生関係を深めるきっかけになったのだろうか。それは、黒目強調型の眼を含むイヌの祖先の形態と行動の変化が、ヒトの養育行動を引き出す認知的枠組みにうまく適合したからだ。動物行動学の祖であるコンラート・ローレンツは、幼い動物がもつ大きい顔、丸い顔、高く突き出た額、大きく丸い眼、小さい鼻や口といった子どもらしい特徴をベビースキーマ(…)と呼んだ。眼の形態の変化は顔全体のベビースキーマを特徴づけることで、ことさら重要だった。》