2022/01/23

●『葵ちゃんはやらせてくれない』(いまおかしんじ)をU-NEXTで観た。しみじみ良かった。

(いまおか作品をきちんと追っているわけではないので他にもあるかもしれないが)『かえるのうた』、『川下さんは何度もやってくる』につづく、「自殺した先輩が帰ってくる」映画。『れいこいるか』でも「れいこ」は帰ってくるのだし、(ぼくはあまり好きではないが)『UNDERWATER LOVE おんなの河童』でも、高校時代に溺れて死んだ同級生がカッパになって帰ってくる。『おじさん天国』でも、おじさんは地獄から帰ってくる。『ゴーストキス』や『若きロッテちゃんの悩み』では、本編の物語としては死者を送る話になっているのだが、ラストカットやエンドクレジットで、唐突に死者と生者とが同一の場所にいる場面が提示される。いまおか作品の多くで、死んだ人は帰ってくる。というか、いまおかしんじは死者が帰ってくる話を繰り返し語る。語る度に、その都度違ったかたちで、死者が帰ってくる。

現実としては死者は決して帰ってこないのかもしれないが、死者が帰ってくる物語を語り続ける限り、少なくともフィクションのなかで死者は何度も帰ってくる。

『川下さんは何度もやってくる』の川下先輩は、「誰でもいいから若い女とやりたい」という欲望から甦る。つまり、彼の悔恨(帰ってくる動機)は一般的に冴えなかった(モテなかった)自身の生にある感じだ。だが、『葵ちゃんはやらせてくれない』の川下先輩は、学生時代に好きだった「葵ちゃん」とやりたいという願いをもって甦り、たった一度だけそのチャンスがあった過去の一日に戻ってやり直そうとする。彼の悔恨には具体性があり、その望みを果たせれば成仏できるという話であるかのようだ。しかしここで重要なのは、川下先輩の悔恨(欲望)の具体性よりも、先輩の親友である今西信吾(あきらかに「いまおかしんじ」のアバターだろう)と同様に、欲望の対象にみえる葵ちゃんもまた、「先輩の死後」を生きる人物であるということだろう。

川下先輩と共に何度も現在から過去へと遡行する信吾という存在は、現在においても何度も繰り返し先輩の物語を語るという役割りであると言える。だが同様に葵ちゃんもまた、川下先輩の歌を、現在もなお歌い続けている。彼女もまた、信吾とは別の形で、先輩を何度も甦らせていることになる。信吾-先輩の物語では欲望の対象である葵ちゃんだが、彼女にはそれとは別の葵-先輩の物語(先輩の喪失の物語)があり、その反復を通じて先輩を甦らせていると言える(先輩と信吾が共犯関係であるのと別の次元で、葵ちゃんと信吾は---先輩を甦らせる---共犯関係である)。この映画では当初、信吾-先輩の物語こそが優勢であるかのように進行するが、しかし、必ずしもそうではないことが徐々に明確になる。そしてそのことが、この映画をそれ以前の「先輩が帰ってくる」映画から一歩踏み込んだものにする。

(信吾-先輩の物語があり、葵ちゃん-先輩の物語があり、信吾-葵ちゃんの物語がある。)

たった一度のチャンスだった一日を三回反復して、結局望みは果たせなかったものの、思いを告げて相思相愛であったことが確認できたことである程度満足した先輩に対して、信吾は納得できずに、先輩の代理として自分が葵ちゃんと性交することを考え、彼女もまたそれに積極的に同意する。これをどう考えればよいのか。この時二人の行為は「先輩が(自ら)帰ってくる」という事態を逸脱し、「先輩の死後」を生きる二人の悔恨の問題(の解決)にシフトしているようにみえる。とはいえ、「先輩が帰ってくる」という事実の原因が、先輩自身の悔恨にあるのか、「先輩の死後」を生きる二人の、それぞれの先輩との関係における悔恨にあるのか、この二つをはっきりと切り分けること(どちらか一方に還元すること)はできないだろう。先輩自身の悔恨(というか「存在」)が信吾や葵ちゃんに語らせるのか、信吾や葵ちゃんの先輩に対する悔恨が、先輩を甦らせるのか、それはどちらでもある、と。

語られる側の動機や欲望だけでなく、語る側の動機や欲望が照り返される。信吾と葵ちゃんとの性交は、自分たちの欲望ではなく先輩に捧げられた供物であるとしても、それによって満足するのは先輩自身ではなく、先輩を亡くしたという悔恨をもつ二人の方ではないか。もしこの行為で二人が満足してしまったら、「先輩が帰ってくる」ためのチャンネルが失われ、先輩の帰還が停止してしまうのではないか。

勿論これは悪いことではなく、喪の作業が完了したということだろう。ただ、そうだとすると「死者の帰還」という出来事が、死後を生きる者の心のなかの出来事だということになってしまう。しかしそちらに還元されることなく、それでもなお、死者自身が自らの都合で、ある時唐突にごろっと帰ってきてしまうということが、なおもあり得そうな感触が強くあるところが、いまおか作品のリアルさではないかとも思う。

(これまでの「先輩が帰ってくる」作品では、先輩を満足させて成仏させてあげたいという感じよりも、先輩には---成仏などせずに---何度でも気軽に帰ってきて欲しいという感じの方が強かったように思うのだが、この作品では、残された側の悔恨が強く出ている分、前者がやや強く出て、矛盾する二つの方向が拮抗している感じがした。)