2022/01/26

●「NOBODY」の2021年ベストで複数の人が挙げていたので、そしてアマゾンビデオにあったので、そして90分くらいと時間的にも手頃だったので(まったく予備知識なしで)『水を抱く女』(クリスティアン・ペツォールト)を観てみた。

「2021年ベスト」(NOBODY)

https://www.nobodymag.com/2021best

冒頭のクローズアップの切り返しから息を呑むような感じで全編にわたって演出はとても面白かったし、なにより、音(音楽ではなく)のつくりがとてもきれいで(窓から室内に漏れ入ってくる都市の喧噪のうつくしさ)、それはすごく好きで、そういう意味ではおもしろかったのだが、いまひとつ、神話をモチーフにした話を、現代の風俗を背景に、現代の人々の話として、現代風のリアリズム的な演出でやる意味というのが、よく分からないというか、腑に落ちないままで終わって、その点ではのりきれなかった感じ。

この話が、ウンディーネ(オンディーヌ)をモチーフとしたもので、そこには「夫が不倫した場合ウンディーネは夫を殺さねばならない」という規則がとても強く作用しているということを知らなければ、(現代を生きる女性としてみるならば)主人公のあまりに激情的で極端で突飛な言動がほぼ理解出来ないと思う。また、そのような激情的な女性の生き様を描くという話でもなく、全体としては、水のまわりで起るはかない幻想譚みたいな雰囲気で、つまり、現代的なリアリズムという設定と、主人公の女性の突発的で激情的でエキセントリックな性質と、はかない幻想譚という三つの要素が、噛み合っていないようにみえてしまう。電話で喧嘩した直後にフランツ・ロゴフスキがいきなり事故で脳死状態になるという展開(喧嘩した時間は実は事故後だった、という話も含め)も、ベタすぎではないかという感じになる。

これらの要素がそれなりに必然性をもって結びついていると感じられるためには、ブレテキストとして「ウンディーヌ」の神話が前提となっている(ことを知っている)必要がある。そこまでは分かるとして、では、「なぜウンディーヌなのか」というところがよく分からない。ベルリンという都市の歴史とウンディーヌとの間に、なにかしら深い繋がりがあって、ぼくがその文脈を理解していないだけなのかもしれないが。

(だがそれも、最初は、ベルリンという都市の、その空間や歴史についての映画なのかと思っていると、途中から、ダムのある田舎の街へと視点が映っていって、もっとベルリンを深掘りするんじゃなかったの…、と思ってしまう。ベルリンの映画というわけでもない感じになっている。)

いや、もしかするとそれは逆なのかもしれない。背景に神話があることを知らなければ、この突飛で極端で唐突でチグハグな感じを、(違和感を持続させつつも)それそのものとして新鮮に受け取ることが出来るかもしれないが、神話の存在を知ることで、それぞれの細部にはそれなりの理由(その理由は作品の内在的理由ではなく、神話という外的参照物からくる理由だ)があることが分かってしまって、違和感を伴いながらも新鮮さや驚きとして感じていたものが理に落ちてしまう感じになるのかもしれない。

(たとえば、いきなり水槽が割れることで男女が出会う場面は、なにこのトンデモ展開すごい、と新鮮な驚きがあったのだが、ウンディーヌの神話という背景があることを知ってしまえば、その「現代的解釈」としては、そこまで驚くほどのこともないか、と思ってしまう。)

あるいは、ナチュラルな現代劇にならないように、「チグハグさ」を生み出すためにこそ、神話が参照されているということかもしれない。