2022/07/18

●『カルテット』、六話、七話をU-NEXTで。うーん、ここまでやられると、吉岡里帆のことをもうちょっと詳しく描いてほしいという気持ちになる。というか、だんだん吉岡里帆のことばかりが気にかかるようになってくる。今後、吉岡像がこれ以上に深く堀られることがあるだろうか。

六話の最初から、七話で倉庫に閉じ込められた松田龍平が助けられるまでが一日の出来事なのだが、とんでもなくいろいろ事件が起こるし、長い回想も入るので、随分時間が経ったように感じられる。

まず驚いたのが、松たか子宮藤官九郎の夫婦生活が、その馴初めから破綻までがっつり丁寧に描かれること。急に別のドラマがはじまってしまったみたいな感じ。六話を観ているときは、このドラマでそこまでやる必要があるのかな、と、やや疑問を感じもしたが、つづけて七話を観て、あ、六話は必要なのか、と思った。六話を観ることで、二人の復縁はないという確信が得られるので、七話で松たか子がいくら揺らいだとしても、宮藤官九郎がそれを拒否することに説得力が生まれる。この二人の関係がうまくいかないのは、どちらが悪いということではないし、やり直してもうまくいくことはない、仕方ないことなのだと納得がいく。仮に、吉岡里帆が本当に死んでいたとしても、「二人で逃げる」ことはなかっただろう、と。

六話ではっきりするのは、松たか子が文化や芸術的なものが好きな人ではなかったということだ。彼女にとってバイオリンは、たまたま資質と教育に恵まれたことで得られた特殊技能であり、人にできないことができるという商品価値であるのだろう。音楽が好きだ、とか、自分の人生には音楽が不可欠だ、とかいう人ではないのだと思う。だから、経済的に余裕のある人と結婚すると、バイオリンをきっぱりやめてしまう(普通だったら、お金のことを気にせずに好きな音楽が存分に出来る、と思うと思う)。宮藤官九郎としては、これが最初にして最大の見誤りだったのではないか。

(個人的な話だが、若いころに、クラシック・現代音楽系の人で、自分はたまたま「できる」から音楽をやっているのであって、別に音楽が好きなわけではない、という人に会ったことがある。職業とはそういうものなのかもしれないが、ぼくは大変に驚いた。)

(ここで再び、一話における松たか子イッセー尾形に対する態度を思い出す…。バイオリンはあくまで経済的自立のためのツールなのだと考えるからこその行動だったのだろう。とはいえ、そのような考えは、ドーナツホールのメンバーたちとの関係によって変化があったかもしれない。)

この事実を端的に表すのが、宮藤が「人生のベスト1だ」と言って映画のDVDを示した時、「泣いちゃうかなあ」と松が応じる場面だろう。文化や芸術が好きな人なら、その人が生涯ベスト1だとするものを「泣く/泣かない」で計ることはないと思う。これは「趣味が違う」ということよりも、さらに大きくて根本的な違いだ。松たか子が悪いということではなく、たんに、彼女は「そういう人だ」ということで、「そういう人」だと理解せずに結婚したことが、そもそも間違っていたということになる。

いや、一方が文化・芸術によって生かされているとまで感じている人で、他方が文化・芸術に一切関心がない人だという夫婦でも、成り立つ場合は成り立つのだろうが、それは宮藤が求めていたものではなかった、と。恋愛のマジックによって、宮藤には、松が「そういう人」だということが見えなかった。あるいは、自分は「そういう人」とは一緒にいられないのだ、ということをまだ知らなかった。だから、宮藤が宮藤であり、松が松である限り、何度やり直してもうまくいかないだろう。

(六話の時点で、松たか子もそれを認識したはずだが、七話で「実物」に会ってしまうと「動物的」に揺らいでしまう。宮藤のことを今でも「好き」だというのは、そういう「動物的な」ことだ。)

(だが、趣味が合えばうまくいく、ということでもないのだということが、『花束みたいな恋をした』で語られている。)

七話は、あっちにいったりこっちにいったりで、バタバタして展開の目まぐるしく、エンタメ的には傑作と言ってもいいと思われる回だが、ある意味で突飛だともいえる。突飛とも思える七話の展開が、それでも、ただたんに意外性を狙っただけではないという感じがするのは、六話があってのことなのだと思う。

で、これだけのことがバタバタと起ると、さすがにもう、松たか子満島ひかりの間の感情の問題(満島の裏切りの露呈による信頼関係の揺らぎ)が、なにか遠い出来事のようになって解決されたかのようになる。松たか子は、松田龍平に隠し事をされ(出会いは偶然ではない)、満島ひかりに隠し事をされた(義母と繋がっていた)だけでなく、宮藤官九郎にその「感情の変化(既に恋愛感情がない)」を隠されていたことになり、世界の基底が何度も書き換わることになる。

(満島ひかり宮藤官九郎と出会うのは、二人とも「靴下を脱ぐ」人だからなのか。)

(宮藤官九郎は、自分自身と吉岡里帆とを、ベランダ(バルコニー)から落下させる。宮藤は、自分で「三階から落ちたくらいで人は死なないよ」と言っていたことを忘れ、吉岡が死んだと思い込む。)