2022/08/02

坂元裕二のドラマをいくつか観て、全十話なら、十話全体での大きな展開のパターンがあるように思った。もっとも粗い、おおざっぱな見取り図のようなものとして。今やってる『初恋の悪魔』でもこのパターンが踏襲されるかどうかは分からないが、三話目までは、パターンに沿っているようだ。

まず、一話でしっかりと基礎固めをして(世界の構図を示し)、二話以降で、主要な登場人物の一人一人について深く掘っていくことを、一人について一回かけて行う。『初恋の悪魔』では、二話目で仲野太賀の、三話目で松岡茉優の、背景が少し深く描かれた。もしこのパターンが踏襲されるのならば、つづいて、林遣都柄本佑の背景が掘られる回がつづくだろう。

そして、主要な人物の背景がある程度明らかになり、ドラマによって描かれる世界の構えがなんとなく見えてきたくらいのところで、つまり、五話の終わりか六話くらいで、今までの前提を覆すような、大きな分岐点が現れる。そこで、世界が一回ひっくり返るというか、大きく書き換えられる。

さらに、最終回の二話か三話手前くらいのところで、一度目の前提のひっくり返しよりも、より大きな出来事が起こって、まさにこの時点で起こった(あるいは、明らかになった)大事件をどのように収束させるのかということが、ドラマ全体の収束点になる(つまり、それによって全体の「主題」のようなものが明らかになる)。

たとえば『カルテット』では、一つ目の転換点が宮藤官九郎の登場と夫婦生活の描写で、二つ目の転換点が、松たか子が「偽物」だったということの発覚だろう。『大豆田とわ子と三人の元夫』では、一つ目の転換点が市川実日子の死であり、二つ目の転換点がオダギリジョー松たか子の関係の思わぬ進展(アンチ恋愛ドラマのなかの「恋愛」)ということになる。どちらのドラマでも、ドラマの序盤を観ている段階で一つ目の転換点(宮藤官九郎の登場や市川実日子の死)を予測できた人はまずいないだろう。

(転換点は、一応伏線がはられているとしても、ドラマの世界の緊密な関係の「ほぼ外部」からやってくるので、予測できない「事件」なのだ。)

ある意味で、一つ目の転換点の手前の(ドラマの前半)段階で、ドラマとしての世界は一つの完成(完結)をみて、その完結された世界が、さらに(世界の別の可能性として)一回読み替えられて後半につづく、とみてもいいと思う。

だから、今の段階でドラマの後半の展開を予測するのは不可能だし、また、意味のないことだと思う。今見えているのは、あくまでドラマの「前半の世界」のピースであって、ドラマの後半にかんしては、現時点ではまだ「問題提起」さえされていない、のだと思われる。

(だから、仮に後半の展開を「当てた」としても、それはまぐれ当たりで意味がない。)

(あくまで、仮に「今までのパターンが踏襲されている」とすれば、という話だが。)