2022/07/17

●『初恋の悪魔』、第一話を、とりあえずTVerで観た。阿部寛みたいな林遣都鳥居みゆきみたいな松岡茉優柄本明みたいな柄本佑、仲野太賀みたいな仲野太賀。これだけで楽しい。今後も期待大。

「大豆田とわ子…」は、恋愛ドラマのようにみせかけて、徹底したアンチ恋愛ドラマだったが、これは、思いっきり遠回りした恋愛ドラマなのかもしれない。「大豆田…」といい、この作品といい、坂元裕二は21世紀のスクリューボールコメディをつくろうとしているのではないか。ただ、とはいえ、『カルテット』を観ていてつくづく思うが、坂元脚本ドラマの、一話だけを観て先の展開(どこへ行きつこうとしているのか)を予測するのは不可能だ。一話で出てきたフォーマット(四人で事件を解決)も、二話か三話くらいまでは踏襲されるかもしれないが、それ以上はつづかないのではないか。

ベタに考えれば、最も腰が低くて人当たりのよい仲野太賀こそが最も闇が深いと予想される(柄本佑が、二人が仲良くなった共通点は何かと問い、仲野が「警察が嫌いなことです」と答えたこの言葉は、第一話で最も意味と闇の深いセリフではないか、また、署長の言う「兄貴を殺す動機」とは?)。だが、それもそんなに単純ではないはず。

(林はわかりやすくヤバい奴であり、松岡が多重人格---解離性障害---であることが示唆されるが、それらよりも、仲野の兄の死と警察への嫌悪の方にきな臭いにおいが濃い。)

警察モノであって刑事モノではない。警察内非警察官である仲野(総務課)と柄本(会計課)をドラマの中心にもってくるという発想。この二人には、警察内で働きながら警察を嫌っているらしいという不穏さもある。基本的に、刑事課の刑事たちは、女性課長まで含めてイケイケでマッチョな性質をもつように描かれ(健康的で強いがゆえに、周辺者や弱者への配慮が十分でない)、対して、穏やかで腰が低く、受動的な陽の仲野、虚弱体質で反権力志向の強い陰の柄本というキャラが配置される。加えて、刑事ではあるが刑事課ではない、生活安全課の松岡、刑事課の刑事であるが停職中の林、刑事課に属しながらそのノリについていけず、軽くぞんざいに扱われている佐久間由衣が、主流から外れた存在として配置される。

(刑事課的マチズモが、伊藤英明による「上からボーリング」によって表現されているのは秀逸だと思う。)

警察内にいるとしても、捜査権も逮捕権もない人物たちによる捜査・推理という点で『時効警察』を想起させるが、こちらには道楽ではない、一定の切実さがあり、よりアクティブに事件とかかわる。また、非主流派として、主流派に対する批判や嫌悪という側面もみられる。

仲野、柄本、林による推理合戦があり、それらの推理の間を行き来して統合する役割として松岡がいる、という感じだろうか。三人の推理は、どれも、個としての性質のバイアスが強くかかり過ぎて真実に到達できない。林は、犯罪を聖化するロマン主義的傾向のカリカチュアであり(黒沢清の映画の犯人のパロディのようなこと---この世には知らない方がよかったことがある---を口にする)、柄本は、犯罪を社会の歪みを映す鏡のとみなす見方のカリカチュアである。仲野は、ある種の凡庸な生真面目さの典型と言えるかもしれない。ただし、三人の推理はすべて間違っているが、一部は真実にかすっている。仲野による「花火大会」への注目、柄本による「前日の死者」への注目、林による「(動画のなかの)もう一つの花」への注目、そしてそこに、松岡による「救急車のサイレン」への注目と証言の読み直し、仲野による「観察(記憶の掘り起こし)」が加わることで、真実が導かれる。

(真実へとたどり着くためには、証言者の証言を正確に読む必要がある。証言者は「救急車の音」とは言ったが「サイレンの音」とは言っていないし、「医者が殺した」とは言っていても「医者が突き落とした」とは言っていない。各推理の統合の過程で、このようなミスリードが正されていく)

特権的な探偵のいない状態で、それぞれにバイアスのかかった推理が「統合される」ことを可能にするのものが、松岡によって製作された模型という媒介物(媒介場)だ。それぞれの意見が、模型という舞台(パースペクティブ)に集約され、人物たちは、原寸大と模型大、リアルとバーチャルの間を何度も行き来し、模型やバーチャル空間のなかで動き回りながら検討し、記録や記憶を整理し、バラバラな推理を一つの形に集約していく。

(手数が多ければよいというわけではないが、おどろくべき手数の多さ。冒頭近くで仲野太賀が巻いているポスターに映っているのは松尾貴史---一文字萬太郎---だ。)