2022/08/20

●『初恋の悪魔』、第六話。五話、六話で予想外の展開がくるというのはこれまでも坂元裕二をみていれば予想通りだとはいえ、それでもやはりびっくりする。完成度の高さや形式的なきれいさをうっちゃってまで、ある意味で下品だとさえ言えるくらいの意外性がぶち込まれて、話の流れが急旋回する(8月2日の日記を参照)。

(野木亜希子などに比べると、本当に形がきれいではないと思う。しかしこれは決して、意外性のための意外性、どんでん返しのためのどんでん返しではなく、全体の主題の配置や構築からみると、必然性のある意外性に、最後までみると、ちゃんとなっていく、というところが不思議なのだ。たんに辻褄が合っている---伏線が回収される---ということではなく、主題的な整合性がある、ということになってくるだろう、ということだ。)

いくつかの前提が書き換わる。これまで、物語の全体での大きな謎は、仲野太賀の兄の死についての謎だと思われていたが、そうではなく、隠された連続殺人こそが大きな謎であり、兄の死はそれに付随する出来事の一つであるらしい、ということになる。これも予想通りではあるのだが、五話、六話に至ってようやくこのドラマ全体の「真の問題提起」がなされ、物語の本線らしいものがみえてきたということだ(8月13日の日記を参照)。

それともう一つ、松岡茉優のもう一つの人格に、大きく比重がかかってきた(それによって世界が、そして観客の視点が、裏返る)。もう一人の松岡茉優にとっては、仲野太賀の楽天性(前向きさ、きれいごと)は恐怖でしかないだろう。松岡自身でさえ、もう一人の自分を恐れつつも、尊重する感じがあるのに対して、この点に関して仲野はあまりに無自覚であり過ぎる(もう一人の松岡を「消えて当然」だと考えてしまっている)。ここでは坂元的「名セリフ」が逆の機能をもつ(いわゆる「名セリフ」のもつ白々しさが前面に出る、坂元は当然、「名セリフ」の功罪に対して意識的であるはずで、時には名セリフを意図的に白々しく響かせる)。ただ、松岡のもう一つの人格が、今後、物語にどの程度重く関わってくるのかは、現時点では何とも言えない。林遣都に問題(満島ひかりを救う)を「託す」ことで、案外すんなりと消失する可能性も、ないとは言えない。もう一つの人格が維持されている原動力として、自分を救ってくれた満島に対する借りを返さなければならない(満島を救わなければならない)という願いが大きいように感じられた。

(林が松岡2の問題を引き継ぐと決意するのは、林が松岡1に対して恋愛感情を持っているからではなく、松岡2によって「中学時代の呪い」が一つ解かれたからだろう。この物語は、そういうところをごっちゃにせずに、きっちりと厳格だ。)

(仲野太賀と林遣都という二人の人物によってそれぞれが受け止められることで、松岡茉優の二つの人格が、どちらも「同等に尊重される」というところにこそ、大きな意味があると思われる。仲野は松岡1を記憶にとどめ、林は松岡2の問題を引き継ぐ。これは冗談に過ぎないが、まったく別の第三の人格---それこそがスカジャン以前のスーツ姿の松岡の素の顔かもしれない---があらわれる可能性もあるかもしれない。松岡が、少年課から生活安全課へと移動した経緯は、まだ何もわかっていない。)

(追記。間違った。スーツ姿の松岡は、松岡2だ。それと、スカジャンの裏側に描かれているのは虎ではなく龍だった。タイガー&ドラゴンだ。)

(松岡1が、少年課の刑事になろうと思った動機の部分に、松岡2と満島との関係が深く効いているのだとすれば、二つの人格は完全に切断されているのではないことになる。)

(仲野には仲野の二面性があり、伊藤英明のふるまいによって、「負けている人生は、勝っている人を勝たせている人生だ」という猫かぶり処世術モードを維持できなくなって、別の一面---これまでは松岡や友人たちにしかみせてなかった---を前面に押し出すしかなくなる。)

j●仲野が行う問題提起(事件のまとめ)が、いらすとやのイラストでまとめられてタブレットでプレゼンされるのに対し、安田顕の問題提起は、スライドプロジェクターと銀幕スクリーンを用いて行われる(安田は、プロジェクターをふろしきで包み、スクリーンを背負ってあらわれる)。新しいメディアの軽さと、古いメディアの大仰さ(安田の顔が何度も映し出されるというギャグは、スライドプロジェクターだからこそ生まれる)。殺人という重たい事件は、古くて重たいメディアによってこそ報告されるべきだと言っているかのようだ。そこから顧みると、刑事課の事件のまとめには、大型で高精細のモニターが用いられていたなあと思う。いちばん無能な刑事課が、最も高級なメディアを用いている(しかしその特性がまったく生かされない、それよりも佐久間由衣スマホの方がよく機能しさえする)。人(場面)によって、プレゼンのメディア(形式)が異なっているのが面白い。

(安田顕は黒くて、伊藤英明は白い。黒い安田と白い伊藤が、それぞれ川の対岸を歩き、橋の真ん中で対話する。)

松岡茉優の過去(松岡2の過去)が、完全に松岡の「語り」によって再現されているという点が興味深い。満島ひかりが出演しているが、セリフは一言もない(その声はまったく聞かれない)。五話で、林遣都の過去(子供時代)が、現在の林の立ち合いの元で再現されていた「再構成された経験」であったことと同様に、松岡2の過去は、あくまで現在の松岡2によって「語られたもの」であり、過去の直接提示ではない。だから林は、すべてを理解したわけではないし、すべてが信じられるわけでもないが…、と言う。

(追記。これも厳密には間違い。満島ひかりは一言「おかえり」とだけは言う。)

柄本佑林遣都との間で、互いに対する呼び名が変わっている(りんちゃん、ことりん)。世界の局面が変わると「呼び名」もいつの間にか変わっているということは、『カルテット』でもあった。

(追記。9830円の目的不明のタクシー代は、今後、事件に絡んでくるのか?)