2022/08/21

●『初恋の悪魔』について、よいカットが一つもないとか、絵や照明がうつくしくないとか言っている人がいて、まあ、言いたいことは分かるのだが、この作品は「大豆田とわ子…」のような、きれいな絵(画面)とおしゃれファッションを楽しむような作品とは違う、ということは、一話で既にはっきりと提示(態度表明)されていたと思う。

このドラマではいわゆる「決まった構図」のようなカットはほとんどない。あるいは、「よいカット」という概念がこのドラマにはそもそもないとも言える。俳優の動きが中心にあって、カメラが(構図が)主張するようなカットは使わない、というのか。とはいえ、空間の演出はきわめて意識的になされているし、セットの空間の作りこみもとても練られている。

総務部の部屋の真ん中に、構図の邪魔になるとしか思えない丸い柱をわざわざ立てているのも、「決まった構図」を避けるためではないかと思う。構図的に、柄本佑の顔がこの柱に隠れてしまっていたカットさえもあった。だがそのことが、この作品の「減点要素」になるわけではない。常識的な「切り返し」のモンタージュが多いのも、カメラがあまり主張しないことの現れだと思う。

特に、このドラマの最も重要な舞台であると思われる林遣都の家のリビングの空間のつくりこみはとても面白い。

テーブルとやや離れた窪んだスペースにあるソファーとの配置(その間に芝居のための小さな空間がつくられるのだが、ソファーのある「窪みスペース」が絶妙)。テーブルのすぐ脇にテーブルの椅子と逆向きの椅子、そして窓とカーテン(カーテンが常に揺れている、窓は開かれその外-庭につながっている)。リビングのその奥にキッチンの入り口があり、玄関からリビングにつながる廊下は、キッチンにもつながっている。テーブル前の椅子に座る林遣都が、しばしば感情を抑えきれなくなって立ち上がり、キッチンへ退いて、そこから廊下に抜け、再び玄関側の入り口からリビングに戻ってくる、あの独特の動きを可能にする回遊性をこの空間はもっている。リビング内部から、入り口の向こうにある、二階へと上がる階段もちらっと見える。玄関とリビングとの位置関係もすごくよい。この屋敷の空間配置は、芝居のバリエーションを豊かに引き出すために考えつくされていると思う。

おそらく、林遣都の家のリビングはおおざっぱに描くと下の図のようになっていると思われる。ここで、六角形的な形が(図ではやや歪んでしまっているが)くっついていることで、空間に斜めの方向へのズレを生じさせ(テーブルが斜めに置かれることになる)、それがつくる空間の複雑度が、俳優たちの動きや配置の複雑なニュアンスを引き出すのだと思う。

(このリビングが舞台の場面の、不思議な空間的な豊かさな何なのだろうと思っていて、間取りが普通と違うらしいと気づき、注意深く観てみて、どうも下の図のようになっているらしいという結論になった。)

●追記。上の図は間違いだった。おそらく下の図のようになっていると思われる。