2022/08/14

●『初恋の悪魔』の五話で分かったことは、このドラマでは過去が二種類あるということだ。回想される過去と、検証(再構成)される過去。これまでこのドラマでは、過去の(一部を除いた)ほとんどが回想されるものではなく、検証される(再構成される)ものだった。そこに、回想される過去が本格的に付け加えられた。

回想される過去とは、内側から経験された過去であり、それは記憶によって現在に召喚される。第五回では、林遣都によって経験された山口果林との過去の経緯がそれにあたる。対して、検証される過去とは、監視カメラ、ネットにあげられた映像、関係者の証言、あるいは書き残された手記、模型と実空間の突合せなどの物的証拠により、再構成されることではじめて立ち上がるものだ。今回では、監禁された男の手記と、監禁していた山口の手記を手掛かりに再構成される「事件」の顛末がそれにあたる。

これまでは模型が過去の再構成のための媒介となっていたが、模型なしの場合でも、示される過去が回想ではなく検証(再構成)であることを示すために、過去の場面にそれを検証している人が立ち会うという形になっている。

(現在の人物の過去への立ち合いはメタ視点ではなく、その過去が「回想=経験されたもの」ではなく、「検証=再構成されたもの」であることを示す。)

ただ、微妙なのは林遣都の過去(子供時代)で、そこに大人になった現在の林遣都が立ち会っているとはいえ、これが検証であるとは考えにくい。だがこれも、通常の意味での回想ではない。これはまず、「夢」として現れ(故にそれは過去=経験そのものではなく加工されている)、そして次に、現在の林による過去の自分に対する介入として現れる。つまり、林による内的な経験であるという意味では回想であるが、単純に思い出しているのではなく(直接的な記憶の再現ではなく)、現在の林によって、過去の自分に対する語りかけが行われ、その語りかけによって過去の自分の「価値(意味)」が書き換えられている場面だと言える。だからこれは、検証ではないが、(内的な)再構成ではある。

だとすれば、「内的な経験=回想」と「外的な再構成=検証」という二つの過去に加え、第三の過去として、現在からの介入によってその「価値(意味)」が書き換えられる舞台としての過去(「内的な再構成」としての過去)、があるということになる。

実はこの、第三の過去としての「内的な再構成」という次元があることがとても重要なことだと思われる。これこそが世界の(意味や価値の)布置の書き換えが行われる場であり、フィクションというもののもつ重要な側面だと思う。

(林の子ども時代が、最初に普通の回想ではなく「夢」として現れるのは、坂元裕二がこの点について意識的であるからだと考えられる。)

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