2022/09/17

●『初恋の悪魔』、第九話。体感15分だった。

前にも書いたが、坂元裕二の脚本は細かいところを見ると結構つっこみどころがある。今回でも、例えば、満島ひかりの「人格」を変えてしまうくらいのハードな取り調べを、たかだか刑事(伊藤英明)一人の意向で実現できるのだろうか(しかも、弁護士がそれを知っているなら裁判に影響が出るはず)とか、(本当かどうかはともかく)「父親の殺人」を告白した少年を、たった一人で(しかも凶器にもなり自傷にも使えるハサミのコレクションのある部屋に)放置しておくなどあり得ない、とか。

(追記。二つ目の点については、林遣都と一緒に出かける直前までは仲野太賀がケアしていたのだろうし―仲野は二階から降りてくる―、続いて、柄本佑がおにぎりと味噌汁を持って二階に上ろうとしているので、全く放置というわけではなく、予期せぬ隙ができてしまったということかもしれない。)

坂元裕二の脚本は綺麗な形をしていない。パズルのピースがピタッとはまるように構築されているのではなく、とても妙な建て付けの、歪んだバランスで成り立っている。

林遣都は、ドラマの前半では「警察の仕事が嫌いだ」と言い「殺人に動機などない」と言うが、終盤では「こう見えても警察という仕事に誇りをもっている」と言い「動機はきちんと探られなければならない」と言う。勿論これは「つっこみどころ」ではなく意図的に書き込まれた「変化」だが、人は短期間でこんなにも都合良く「成長」するものだろうかという疑問が生じる。

だがこれを「成長」ではなく「二面性」だととれば納得がいく。孤独の中にあって「拗らせていた」猟奇殺人マニアとしての林遣都にとっては、警察の仕事など俗事であり退屈でしかなく、猟奇殺人という崇高なものに下世話な「動機」などあってほしくないと思っている(孤独なロマン主義者)。しかし、友人たちと共にあり、社会の中で警察官という位置にある林遣都にとっては、自分の仕事充分に意義を感じられるものであり、犯罪(殺人)は社会の中で起こるのだから、その動機を深く探ることには社会的意義があると考える。

つまり、松岡1と松岡2がいて、仲野1と仲野2がいるように、林1と林2がいる。だから、林遣都は変化した(成長した)のではない。林1は消えたわけではなく、潜在的に未だ存在しているのだろう。そして、ドラマ前半にも林2は潜在的に存在していた。だからこそ、「プライヴェートな推理合戦においては、加害者を裁かない、被害者に同情しない」というルールを提示できたし、それを逸脱しようとした柄本佑をたしなめることができた。また、今回の事件がひと段落した後で、夜、自宅で一人でくつろいでいるような時には、ハサミのコレクションを眺めながら、猟奇殺人の崇高さに思いを馳せるかもしれないし、その時の林(林1)にとっては、(警察官でありながら)警察の仕事など下らないのだ。

(こうなると、柄本1と柄本2もいるのか、と思ってしまう。しかし、佐久間由衣が射たれた時に抑制を欠いてしまったのが柄本2だ、というくらいの解釈でいいのではないかと思う。この時に抑制を欠いてしまった柄本佑を、9話で安田顕が反復する――「私の手で裁く」と言って伊藤英明に凸する。)

表があれば裏があり、裏があれば表がある。例えば、弟から見られた兄があれば、兄から見られた弟がある、というように。それはどちらも自律的にあり、どちららが正しいということもない。物事の(鏡像的でもあり対照的でもある)二面性の提示とその肯定(両立)は、このドラマを通じての(くどいくらいに反復される)大きな主題であるだろう。ならば、松岡茉優の二重人格はそのまま肯定されて、二つの人格が共存するまま終わるという可能性もあるかも。

ぼくが今まで観た限りでは、坂元作品では(『モザイク・ジャパン』を除いて)「まったく同情(共感・理解)の余地のない完全な悪人」は一人も出てこないし、壊滅的な破局は訪れない。だからおそらく、犯人は無差別殺人者(サイコパス犯人)ではないと思うし、「動機」もきちんと描かれるのだと思う。

ただ、ちょっと思うのは、このドラマを見ながら節々で、もしかしたら野木亜紀子の『MIU404』を意識しているのではないかと感じることがあった(例えば、犯人を捕まえるのは犯人が「やり直す」ためだ、というようなセリフは『MIU404』からほとんどそのまま引っ張ってきている)。そしてここにきて、菅田将暉の弟(菅生新樹)が、犯人っぽい感じで出てきた。『MIU404』で犯人であった菅田将暉は、動機や自身の背景の物語を語ることを拒否した(菅田将暉が、というより「作品」として、犯罪を背景の物語に還元することを拒否した)。それに対して『初恋の悪魔』では、「動機」あるいは「犯人の背景にある物語」というものをどのように扱うのか(どのように位置付けるのか)、ということに、ここにきて興味が出てきたのだった(真犯人が誰かというより、こちらの方が興味深いかも)。