2021-11-08

●「かかとを失くして」(多和田葉子)をすごく久しぶりに読んだが、改めて面白かった。ヨソモノ、女性、(貧しい国から豊かな国へ)金で買われてきた花嫁が、異国の地で出会う様々なとまどいと理不尽なことがら。リアリズムで書かれているのではないし、なにかを告発しているというのでもない。そして、主人公はそこまで分かりやすく酷い目に遭うというのでもない。だが、だからこそ、空気のように漂ってねばつく差別と非対称性がとても生々しく摑まれている。この感じは、この作品が発表された1991年当時よりも、現在の方がずっと理解されやすいのではないかと思った。

(日本が、豊かな国の側よりも貧しい国の側に近づき、かつては隠蔽されていた「空気のような差別」があからさまに顕わにされるようになり、しかしその反面として、「空気のような差別」に対するセンシティブな感覚も育っている、という現在。)

講談社文芸文庫の「作者から文庫読者のみなさんへ」によると、この小説はもともと「偽装結婚」という、まさにそのまんまなタイトルだったという。タイトルが「かかとを失して」という(とてもセンスはよいが)ふわっとしたものなったのは、91年当時の世相の反映なのだろう。おそらく現在だったら、「偽装結婚」そのままでいくのではないか(はっきりと「売れ線」が変わった、ということだと思う)。

(邪推にすぎないが、「かかとを失くして」と「三人関係」の二篇が収められた作者の日本で最初の本のタイトルが、小説として明らかに優れていると思われる「かかとを失して」の方ではなく『三人関係』となったのは、作者がこのタイトルに納得し切ってはいなかったということなのだろうか。)