2024-10-17

⚫︎来週、大学の授業にゲストで呼ばれて、自分が書いた小説について話しをするので、そろそろちゃんと準備しないとと思って、学生に事前に読んできてもらうことになっている「ライオンは寝ている」をあらためて読み返した。

この前の、保坂さんの小説的思考塾の後の懇親会で、ある人から「古谷さん、この前の花見の時に一番好きな小説家は誰ですかって聞いたら、自分って答えてましたよ」と言われて、覚えがまったくなかったので過去の自分に驚いた。たぶん、花見でたくさん飲んだ後の、さらにその後の二次会でのことだと思うので、かなり酔っていてちゃんと考えるのが面倒だった(真面目に考えられる状態じゃなかった)のと、それに、ようやく自分の小説集を出版できる、その直前の時期で、その高揚感もあって、そんなことを言ったのだろうと思う。

とはいえ、自分の読みたい小説を誰も書いてくれないから自分でこういう風に書いた、みたいなところは多分にあるので自分の書いた小説が好きなのは確かだなあとは思う。

(「ライオンは寝ている」をあらためて読んで、最初から中盤くらいまではまあまあ良いのだが、中盤を過ぎたところあたりで、ちょっとかったるくなりかけているというか、やや危ういなあ、という停滞の匂いが漂ってヒヤヒヤするのだが、なんとかギリギリ持ち堪えたかなあくらいの感じで、ラストの盛り上がりに繋げられたのではないか、と思った。)

⚫︎「ライオンは寝ている」の舞台となった建物は実在した。昔からあったし、住まいからアトリエへ通う道の途中にあった。内部の詳しい様子などは見ていないから想像(妄想)して書いたものだが。ぼくが小学生くらいの頃には人も住んでいた様子だったし、荒れてもいなかった。いつからなのか、とても広い敷地と屋敷が、二十年くらいは荒れたまま放置されていたと思う。今ではその屋敷のあった敷地に、私道を真ん中に挟んで、北側に七棟、南側に八棟、合計で十五棟もの戸建ての住宅がギチギチに建っている。

下は、その屋敷付近の1961年と2007年の写真。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより。2007年にはもう完全に荒れ果てて、生え放題の植物群で建物は埋もれて外からはまったく見えなかったはず。07年にはまだ八王子に住んでいたので毎日のように前を通っていたわけではないが。

(61年の写真には、建物は母屋一軒しか見えないが、07年の写真では、建物が四つ増えているのが見える。そのうち、道路沿いにちょこんとある茶色の屋根の小さ建物は外からもかろうじて見えた。トタンづくりの、二階建ての倉庫のような建物だった。正門は壊れて閉め切れず隙間が空いていたが、笹と雑草とが完全に視界を塞いでいた。Googleアースの過去写真は、国土地理院の写真よりもさらに不鮮明で、これらの不鮮明な写真から妄想して書いた。)

そして、ある日アトリエへ向かって歩いていると、なんの前触れもなく忽然と樹木も植物も屋敷も消えて更地になっていた。その時のショックが「ライオンは寝ている」の最初のモチーフとなっている。それは2014年くらいのことだが。それと、おそらくその前年だと思うが、例外的な大雪が降った。