このところ、頭痛、肩こり、目の奥の痛み、が、強くなったり弱くなったり波打ちながらずっと続いている。今朝はそれがひどくて、特に肩こりが凄くて、肩がこり過ぎで、気持ちが悪いくらい。吐き気。で、仕方ないから今日も午前中は寝てる。
宇野邦一「 日付けのない断片から 」より。<男Xは自分が十分生きていないと感じる。生きることから硬く自分を防御している、名付けがたい空虚が壁をつくっていると思う。女Yは、たえず男一般を権力として、不毛として、体制として弾劾する。Yにとって男は、生きることの障害、拒否なのだ。だからといってYは、雄としての男に引かれないわけではない。むしろYは、雄としての男にいつも強く牽引され、雄と平気で戯れることさえできる。男への攻撃は、むしろYのエロティスムからくる徴発かもしれないのである。YはXを前に、男を弾劾する。そして、突然Xも男だったと気づいたように、あなたのことはあまり男だと思わない、という。Yの攻撃性と敏捷さにはかなわないとXは思い、少し去勢された気持ちになる。・・・男であることが虚偽であり、虚勢であるように思われる。男であることが、生気と自由を奪っている。・・・Xは男だから愛するのだが、愛するためには男であってはならないのだ。>
「 Xは男だから愛するのだが、愛するためには男であってはならないのだ。」ってやけにリアルな言葉だなあ。身に染みるっつーか。ひえーっ、て感じ。ぼくの三十何年かの生涯を要約しちゃってるのかも。
そういえば、宇野邦一氏の師匠にあたるドゥルーズも、何故書くのか、との問いに、「 男であることの恥ずかしさ 」によって書くのだ、と答えたそうだ。「 男であることの恥ずかしさ 」この感覚は、黒沢清初の恋愛映画「 大いなる幻影 」とも、直接的に繋がっているように感じられるのだが・・・どうでしょうか。
午後になっても一向に良くなる気配がない。このまま、ごろごろしてても仕方ないから、バファリンを飲む。しばらくして頭痛は少しマシになってきたので、夕方からアトリエへ。蕎麦屋の前を通ると、出汁のいい匂いがした。師走。首をコキコキ鳴らしながら歩く。
アトリエで制作。少し、方向を見失いつつあるのか。じっくり、やらなくては。
帰り道に、久しぶりに、ちょうど楳図さんの家の前で、楳図かずお氏と擦れ違う。真っ黄色の、夜なのに目が痛いくらいに黄色い、近未来風のジャケットを着ていられる。暖かそう。ちなみに、楳図さんの家も真っ黄色なのだった。寒いというより冷たい空気。
帰っても、目が痛いので、借りているビデオも見られない。宇多田ヒカルの「 First Love 」を初めて、最初から最後まで通して聴いた。これ、シングルカットされてる曲とそれ以外の曲で、出来に差がありすぎじゃないのか。でも、売れ筋の商品ていうのは、こういうものなのかも。ポイントに最大限の力を注いで、あとはサラッと流す。その方が聴く人も楽なのか。