午前5時半頃、空の色がほんのすこしの間だけ、凄い青になる。これを見たのは2度目。(前にも日記に書いた。)恐ろしく透明感のある濃い青が、空全体を覆う。濃く暗い色なのだけど、そのなかにたっぷりと光を含んだような、透明な青。読んでいた本を置いて、音楽も止めて、外へ出る。しかしその凄い青は、みるみる薄明るい朝の空へと変化してしまう。
朝帰り。風がつよくて、寒い日。強い風で、電線が、びゅんびゅんとうなり、プレハブの物置きが、ギシギシと音をたててゆれる。
午後から出かける。上野の森美術館でVOCA(the Vision Of Contenporary Art)展。国立西洋美術館ピカソ-子供の世界-展。銀座、ガレリア・グラフィカで石関たけし展。
ピカソは凄い。絵画、というか美術作品を観てこんに興奮したのは、何年ぶりだろうか。ピカソという画家を、ぼくはむあまり好きではないし、今回の凄い展示を観たからといって、改めて好きになった、という訳でもない。特に色彩、赤と青のぶつけ方とか、無神経としか思えない色の濁らせ方とか、どうしても受け入れがたいものがある。初期作品のあまりにもわざとらしい技量の見せびらかしにはうんざりだ。にもかかわらず、絵画ってこういうことなのかもしれない、と、絵を描くということへの無根拠ともいえる肯定性の、強さ、に撃たれてしまった。娘のパロマを描いた、恐るべき力量のドローイングと、ラス・メニーナスやピアノと題される作品に描かれるふざけたとしか言い様のない犬のフォルムとを、同じ画家が5年と隔たっていない時期に描いている、ということの驚き。懐の深さというのか自由さというのかいい加減さというのか、卓越した技巧と天然ボケの奇跡的な同居というのか・・・。
絵画の現代的な問題意識とか、そんなもんシャラクサイ、これこそが絵画なのだ、文句あるか、ピカソの作品は我々にそう宣言する。特に今回の展示では、40年代後半から50年代前半に描かれた作品が、肯定の強さ、という意味で際立っているように思う。(考えてみれば、これって、抽象表現主義の形成期とほぼ同時代なんだ、へえーっ。ピカソは抽象表現主義に多大な影響を与えているのだけど、抽象表現主義的な禁欲性とは、全く無縁だろう。)本江邦夫氏が書いたピカソについてのテクストに読まれる次の文章を思い出す。『ひょっとしたら、私たちはここで美術史の言葉を喋らなくてもよいのかもしれないのだ。』ピカソの天才は、決してその前衛性や形式性にあるのではない。たんに画家である、ということを肯定する強さにこそあるのだ。画家というのは、ここまで、いけしゃあしゃあと図々しい動物なのか。参りました。(いや、本当は参っちゃいけないんだけど、)
本当に、冗談じゃなくて、参ってはいけないのだ。例えばセザンヌは、そういう図々しさを恐らく最も嫌ったはずだし、マチスも、ピカソなどとは比べ物にならないほど豊かな才能に恵まれながらも、自分の作品に対する批評的な位置を見失うことはなかったはずだ。(いや、ちょっとは、見失うこともあったかも)徹底した肯定性、と言えば聞こえはいいが、それは同時にとても危険なことなのだ。そのことは、決して忘れてはいけないだろう。
それにしても、ピカソは凄いのだった。あまりの多様性(なんでもあり性)に、とても1回では全てを見切ることはできない。何度か、通わなくては。
(ピカソは、ベラスケスの『ラス・メニーナス』をもとにした連作を60点ちかく製作しているそうだ。これこそがピカソのやり方なのだと思う。つまり、ベラスケスが一枚の絵画で実現しようとしたことを、60枚の絵画の様々な側面によって見せようとすること。一点に全てを集中させようとしないこと。素早く描き、手早く仕上げること。ピカソの驚くべき自由さや多様性は、この辺からきているのかも。ピカソは多分、あまり反省しない人なのだろうと思う。描いている途中で反省してたら、全く違ったものになってしまっただろう、という作品が沢山あった。)
ガレリア・グラフィカで石関たけし展を観た後、石関、泉岡と食事。