とても蒸し暑い夏の日の午後

軽い狂気。昼間のガラガラに空いた、短い編成の電車。一番後ろから車両を次々と横切って来た男が、窓のブラインドを下ろしている。どの車両も、正確に同じ位置のブラインドを、その一箇所だけを下ろしてまわっているのだ。進行方向を向いて左側の、一番後ろの窓のブラインドを、几帳面に下ろしては、また次の車両に向かってゆく。おそらくこの男にとって世界は、「電車の車両の左後ろのブラインドはいつも降りている」という状態でなければ許せないのだろう。と言うか、それは、この混乱した無秩序とも思える世界を生きるための、最低限必要な「基底的な状態」「基準になる状態」なのかもしれない。もし、電車に乗るたびに、全ての車両の特定の位置にあるブラインドを下ろしてまわらなければならないとしたら、それは何と困難な生であるだろうか。

電車を乗り換える。人身事故でダイヤが乱れて、乗り換え駅の情報が混乱していたらしく、電光掲示板の表示通りのホームから乗った電車が、目的地へ向かうのとは別の路線へと入っていった。仕方なく次の駅で降りて、折り返しの電車を待つ。ふいに生じた、宙に浮いたような十数分の時間。このような隙間の時間は、決して意識的に作ることが出来ないので、とても貴重なものなのだ。ベンチに座って、ありふれているけど、初めて見る駅前の風景をぼんやりと眺める。視線を塞ぐように大きなマンションが目の前に建っている。しかし、その脇にある砂利敷きの駐車場からは、先へと視線が伸びる。駐車場の向こうは、緑が多くてホコリっぽい、平坦な田舎道が続いている。空は白く濁っていて、散った雲に光が乱反射して眩しい。ホームから見えるのはマンションの裏側で、そこは駐輪場になっている。そこへ男の子が降りてきて、チャリンコを押して外へ出てゆく。なんていうことのない、ただの夏の遅い朝の光景なのだった。このような光景を、出来ればずっと眺めていたいなんて思うのだが、電車が来れば、さっさと乗ってしまうのだった。