『ソラリス』(スタニスワフ・レム)

●『ソラリス』(スタニスワフ・レム)を読んだのだが、作者や訳者が何と言っていようと、やはりこの小説の一番面白いところはクリスとハリーの関係(と言うか、クリスが、自らに襲いかかってくる、コントロール不能な回帰するイメージ=記憶としてのハリーとどのように関係するのか)というところにあることは間違いないように思える。この小説における「未知なるもの」とは、宇宙の果てにある異なる知性を持つ生命体ではなく、むしろ人間の脳であったり、あるいは(もはや存在しないものをありありと、そして何度でも再現してしまうような)テクノロジーであったりする(つまり、人間や人間の知性がつくりだしたものこそが、人間に対して違和感を突きつける未知のものとなる)、と読む方が自然のように感じられる。例えば、フラッシュバックのように、ほぼ現実と同等の強さ(リアルさ)を持ち、しかも制御出来ないかたちで回帰してくるイメージに対して、人間はそれをどのように扱い、それとどのように関係すれば良いのか。あるいは、既に死んでしまった者があたかも活き活きと動いているかのようなイメージを何度も再生させてしまう映像装置が、死者の記憶を死者として納めることを失敗させてしまうとしたら、生き残った者はどのようにして他人の死を受け入れることが出来るのか。そのような意味で、この小説は一種のトラウマ物とも言えるし、メディア論的な小説とも言える。(だいたい、ハリーという女性の人物造形からは、どことなく萌えキャラ的な匂いが感じられる。)そのような意味では、過度にアメリカ的な色づけがなされてしまっているし、ちょっと問題をシンプルに整理し過ぎているとはいえ、ソダーバーグの『ソラリス』(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yo.30.html#Anchor2887693)は、かなり原作に忠実な(原作者の考えや狙いに忠実な、ということではない)、あるいは原作の要領の良い要約のような映画だった、と言えるのではないだろうかと思