●近所にある古本屋が閉店するそうで、全品半額セールをやっていて、そこで展覧会の図録をたくさん買い込んで、それを眺めていたら一日が過ぎた。買ってきたほとんどが、コンセプトのよく分からない、どこかの美術館のコレクションを適当に(適当に、という言い方はなんだけど)持って来て展示しただけ、みたいな展覧会の図録なのだけど、こういう展覧会は、ものすごく有名な傑作、みたいな作品は見られないけど、意外な拾い物が見られて、絵が好きな人にとっては、キュレーターの「狙い」ばかりが見えるような展覧会よりもずっと楽しいものなのだった。極端なことを言えば、絵なんて子供にでも描けるのもので、だからこそ技術とか形式とかでは誤摩化すことの出来ないものが「出る」のだ。絵の(個々の作品の)「良さ」は、美術史(での位置)や、技術や形式の発展や変化とは別のところにあるということが、このような雑多で纏まりの無い「寄せ集め」のような状態で絵を見ると良く分かると思う。あるいは、美術史のような言説とはとりあえず無関係にある、このような「寄せ集め」を可能にする蓄積されたアーカイブの厚みこそが、絵の(個々の作品の)「良さ」を支えているのかも知れない。何冊ものカタログをまわりに広げて、あっちにいったり、こっちにもどったりしながら眺めていると、「美術の現在(現在の美術の状況)」なんて、ほんとにどうでもいいこととでしかないと確信される。ヨーロッパの小さな美術館を細かく廻って、その収蔵作品をじっくりと見て廻るだけの、時間とお金の余裕が欲しいと強く思うのだった。でも、そんなことをしたら(今でもようやくその端っこに辛うじてしがみつけているだけなのに)二度と「現実(つまり、現代の日本の社会)」に復帰出来なくなってしまうかもしれないけど。