リヒターはつまらない

A-thingsの展示の最終日だったので、早いうちから会場にいて、何人もの人にお会いした。どうみても社交的とは言えず、普段あまり頻繁に人に会うような生活をしているわけではないので、二言、三言でも人と話をするのはとても刺激的なことなのだが、その分ぐったりと疲れてしまう。
●会場で人が途切れた時に、A-thingsの広川さんと話していて、ふと、「ぼくはリヒターって嫌いなんですよね」と言ったら、「私も人が言う程良いとは思わない」という答えが普通に帰ってきたので、ちょっと驚いた。(リヒターは初期の作品のみが面白い、という点でも意見が一致した。)ぼくは本当に不思議に思うのだけど、リヒターをつまらないと言う人にほとんど会ったことがなく、皆、口をそろえてリヒターはやっぱり凄かった、というようなことを(ぼくがその見識や目利きを信頼しているような人でも)言うし、それだけでなく、しばしば、リヒターがつまらないという発言をすると、何かとても「攻撃的な態度の表明」のように思われて、引かれてしまうことすらある。こいつはこれから面倒な議論でも吹っかけてくるんじゃないか、という感じで、態度をかたくなにされてしまったりするのだ。僕は、「リヒターがつまらない」と言うことで(それを通して)何かもっと大きなことを主張しようとしているのではないし、自分の「立ち位置」を示そうとしているのでもなく(文章を書いたりするときは、そのような意図があることもあるけど、少なくとも普通に話している時はそんな意図はなく)、ましてや「敵/味方」を峻別しようとなどしているのではなく、ただ素朴に、ぼくには全く面白いと思えないので、面白いといっている人に、どういう所が良いと思っているのか聞きたい(教えてほしい)、というだけのことなのだけど。だいたいぼくは議論とかディベートとか嫌いだし、ほとんどの場合、(人を言い負かそうとするような)攻撃的な意図をもって人に話しかけようとするなんて面倒なことはしたくない(感情というのはとても複雑なものなので、そういうことが全くないとは言わないけど)ので、たんに自分と違う評価をする人が、どのように感じ、どのように考えてそういう評価をしているのかを、別に厳密にではなくても、そのだいたいの感じを聞きたいと思うだけなのだけど。にもかかわらず、「リヒターって本当にそんなに良いんですか」という発言に妙な挑発性が混じり込んでしまうような、不健康な抑圧が、リヒターをめぐる評価や言説には働いているような気がして仕方がないのだった。だからこそ、リヒターって別にそんなに良くはないですよね、みたいな話が、特に力んだ調子を含むわけではなく、ごく普通に出来たことは、とても意外だったし、とても良かった。