『未来少年コナン』

●いつ頃から観始めたのか忘れたけど、ここ何ヶ月かかけて折に触れてちょっとずつ『未来少年コナン』をDVDで観ていて、今日、最後までたどり着いた。(日記を調べたら、3月15日からだったから約二ヶ月かけて観たのだった。)これはやはり圧倒的に宮崎駿の最高傑作で、映画のように二時間という時間の枠内に押し込められる必要がないので、様々な運動のバリエーションが余すところなく展開されるし、端役に至るまで、キャラクターたちをおもいきり動かすことができている。(それにしても、テレビシリーズの26話ちゅう、ほんの少しも緩むことなく、すべてにびっしりと中味がつまっているのは驚くべきことだろう。コナンの重力に抗する運動能力は、終盤に近づくにつれ、それはちょっとやりすぎなんじゃないのかというところまで拡張されてゆくのだけど。ほとんど空飛んじゃってるじゃん、みたいな。)二時間という枠のある映画だと、例えばモンスリーのような複雑なキャラクターは描ききれないだろう。モンスリーは、強さと弱さとをともに持ち、気持ちが揺れ動き、自らの立ち位置を自らの選択によって決定する(変更する)という意味で、キャラクターのなかで唯一役割を超えた「内面」をもつ人物と言えるのではないだろうか。終盤、左腕を怪我しているモンスリーが、パジャマ姿で、右手一本でファルコを操縦しているシーンなど、思わず「萌えーっ」とか言ってしまいそうなかっこよさだった。ただ、最終話のダイス船長との結婚式のシーンでは、いきなり花嫁衣装のモンスリーの顔がかわっていて、宮崎駿好みの美少女風の顔になっているのは、ちょっとどうかと思った。それはモンスリーに失礼なのではないか。あと、スタジオ・ジブリで製作される映画だと、隅々まで完全に制御されていて、宮崎駿色一色に染められているのだけど、『コナン』では、宮崎駿色を抑えてしまう程に、大塚康生色が強く前面に出て来るところが所々であって、そのことがまた作品の表情を豊かにしていると思った。