フィレンツェだって、そこに住む人にとってはたんなる即物的な現実に過ぎないのだろうけど、そのような「現実」という文脈をほとんど共有していない無責任な観光客にとっては、非現実的にうつくしく見える。トスカーナの山間の田舎町が、昼の光のクリアーさによってうつくしいとすれば、都市であるフィレンツェは、暮れかけから夜にかけてが圧倒的にうつくしい。このうつくしさは、光のうつくしさだけでなく、音の響きのうつくしさによると思う。旧市街地全体が世界遺産に登録されているというフィレンツェの中心部には車の乗り入れが厳しく制限されているそうで、それでも、主要な道路にはかなりの交通量があるのだけど、そこからちょっと中へ入ると、ほとんど車が通らない。車の騒音が聞こえない上に、おそらく地面も建物も石で出来ているせいなのだと思うのだけど、人々のざわめきが、とてもうつくしく響くのだ。遠くの方でささやくように話している人も声までもが、エコーがかかりながらも粒だってはっきり聞こえる。フィレンツェの中心部には、派手に点滅するネオンもなければ、やたらと明るく輝く自動販売機もなくて、ネオンは、ただその店やホテルの名前を示すだけだし、あとは、あまり明るくない街灯と、ショーウィンドーや窓から溢れる光だけによって照らされているから、ブランド品を売る店が並んでいるような通りでも、そんなには明るくない。(フィレンツェでは、ホテルの部屋も、天井から照らす蛍光灯のようなものはなくて、ランプシェードがかけられたいくつかのランプの照明だけで、薄暗かった。)
美術館や教会は、だいたいどこも午前八時十五分から三十分ころに開いて、午後四時頃にはチケットを売ってくれなくなるから(入場料を取らない教会などは、午前中だけで閉まって、長い昼休みのあと、逆に四時過ぎでなければ開かなかったりするらしいけど)、朝八時頃にホテルを出て、昼食をとる時間もなく、ずっと歩きつづけという感じで、しかも、どこも石畳で歩きづらいせいか、すごく腰に負担がきて、午後五時頃にホテルに帰る頃にはヘトヘトになっているのだけど、それでもフィレンツェ滞在中はほぼ毎日、一休みした後、夕方から夜にかけての街に出てふらふら歩いていた。特に好きだったののは、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の前の広場の暮れかけてゆく時間と、すっかり暮れてからの、サン・ジョバンニ礼拝堂からレップブリカ広場、そしてベッキオ橋へと至る通りのざわめきだった。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会前の広場は、中央駅のすぐ近くのなのだけど、教会の建物に遮られているせいか、駅前の車の喧噪はほとんど聞こえない。この広場では、イタリア系でも観光客でもない感じの人たち、アフリカ系や中東系っぽい人たちがいつもベンチに座っていて、知り合いが通りかかると挨拶したり、世間話したりしている感じの場所だった。ここはホテルからも近く、買い物をしていたスーパーのすぐ近くでもあったので、よく、暮れてゆく風景をぼんやりと眺めていた。石造りの建物が建て込んでいてあまり見通しのよくないフィレンツェの中心部で、この広場はそんなに広くはないけど横に長いから、割合見晴らしが開けていて空がひろく見える。駅が近いので、夕方になるとそこに、仕事から帰ってくる人たちや、買い物帰りの人たちがざわざわと集まって来る。広場には、人があつまってくるだけでなく、音が集まって来るという感じがあって、少しずつ暗くなり、青が濃くなってゆく澄んだ空を見ながら、遠くから、また近くから、ざわざわとざわめきがたっているのを聞いているのは、とても気持ちがよい。暗くなってきて、視覚が曖昧になってゆくにしたがって、ざわめきが増して来る感じが、とてもうつくしいのだった。
サン・ジョバンニ礼拝堂から、レップブリカ広場、ベッキオ橋へと至る通りは、ブランド品などを売る店が並んでいて、夜になると凄い人通りで、まるで縁日のような感じになる。この通りの中程にあるレップブリカ広場は、一つとなりの通りが通じているシニョーリア広場のように派手な銅像とかはなくてたんなる平面で、そのかわりメリーゴーランドがひとつ置かれている。通りの途中に(八十年代はじめ頃の原宿駅前みたいに)洋服や土産物を売る露店が集まっている一画もあって、いっそう縁日感が強調される。基本的に煌煌と輝くようなネオンはないので薄暗くて、広場も暗い。(この暗さが、ゆったりとまわるメリーゴーランドの輝きを強調してもいるようだ。)薄暗いなかに、とても多くの人々がひしめき、ざわめいていて、観光客も多いので、聞こえて来るのがイタリア語ばかりではなく、英語や日本語などもかなり高い割合で混ざっていて、たまにフランス語や中国語、韓国語みたいなのも聞こえて、それらのあちこちでたっているざわめきが、ざわざわと混じり合うのではなく、一つ一つが不思議な反響をしながらも粒だってくっきりと聞こえてくる。(『ベルリン・天使の詩』の図書館のシーンを思い出すけど、あれよりもずっとうつくしく響いている。)広場には、観光客だけでなく地元の人たちもあつまってきていて、観光客たちは買い物に興じている浮ついた感じがあり、地元の人たちからも一日の労働を終えた開放感や、人々が集まっているところに来ている昂揚感や華やいだ感じが感じられ、ざわざわ響く声の反響と、薄暗いので一人一人があまりはっきりと見分けられないのと(人々から重さや厚さが消える感じ)、人々から発せられる開放感とがあわさって、まるでこの場所が、生きていた時の様々な悩みや苦しみから解放された死者たちが集まっている場所であるかのように感じられたのだ。このような言い方は陳腐かも知れないけど、それは何とも言えない幸福な感じで、滞在の最後の夜など、広場のベンチに座って人々の行き交うのを眺めながら、自分が明日からはもうここに来ることが出来ないのだという事実が、なんとも理不尽な不幸であるように思えてくるのだった。(この通りから、ドォーモの前の車の通りの激しい道に出ると、死者の街は消えて、生きている人たちの活気あるざわめきが戻ってくるのだが。)
フィレンツェの夕方から夜。http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/hikari1127.html(アッラ・カライヤ橋からの夕暮れ/暮れてゆくサンタ・マリア・ノヴェッラ広場からの眺め/レップブリカ広場のメリーゴーランド/中央駅ちかくの夜景)