●イタリアから無事に帰ってくることが出来ました。十二時間も飛行機に乗って行くわけですが、行きの飛行機のなかではベケットの『モロイ』を、帰りの飛行機ではドゥルーズの『シネマ2』を読んでいました。帰りは半分以上寝てましたけど。
●ごく短い間の滞在だったけど、すごく濃い時間で、あまりにも多くの充実したものを短期間に見たため、午後になると、もう、午前中に見たものが、数日前に見たものであるような感じになってしまうくらいだった。二、三日前のこととなると、何ヶ月も前に見たもののようにさえ感じられてしまう。いや実際、何ヶ月も前に見たものの記憶が数日前に見たものの記憶なかに混じっているのかもしれなくて、とにかく、濃密な経験が次から次へとやってくると、それぞれの順番や日付など関係なくなってしまって、あるものを見ている時、ふと、別の何かのイメージが浮かび、あれはいつどこで見たのだったっけ、確か昨日行ったあそこで見たはずだっけ、と思っても、実はそれは実際の見たものではなくて、記憶が混乱して頭のなかに出来上がった架空のイメージが混じり込んだのかも知れなくて、まあ、そのくらい、ずっと夢心地のままで過ぎていったのだった。一応、最低限のメモはとってあるので、そのメモを頼りに記憶(やデジカメで撮った写真など)を辿っていけば、あのイメージは、何日に、あそこで見た、これだったのど、ということは分るはずなのだけど、今のところはとりあえず、呆然としたままでいて、この混乱して濃縮された記憶の状態をあまり整理したくない感じだ。
フィレンツェでもそうだし、バスに乗ってトスカーナの山間の田舎町へはいって行くとさらにそうなのだけど、湿気が少なくて空気が澄んでいるせいか、晴れていても曇っていても雨でも(山間の田舎町では凄く劇的に天気が変化した)、昼間でも夕方でも夜でも、光そのものがやたらとクリアーでうつくしくて(ぼくは視力はあまり良くないのだけど、遠くの方までくっきりと見えるのだった)、その光の状態を眺めているだけで恍惚となってしまって、なぜ自分はここで生まれなかったのか、と思ってしまうほどだった。(トスカーナの光の写真http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/hikari1126.html)