●きまぐれでDVDを借りてきて、ずいぶん久しぶりにタルコフスキーの『ノスタルジア』を観た。すごく良かった。
この映画の最初のところでピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」という絵が出てくる。これはぼくが今まで実際に観た絵のなかでもっとも美しいと感じた絵の一つだ。映画では、柱がいっぱいある、石造りの、古くて暗い教会の奥にこの絵が置かれていて、多くの女性たちがその前で跪いて祈っているのだけど、実際にこの絵はそんなところにはない。モンテルキという、トスカーナ地方の小さな村の、元中学校だったという建物の中に保存されている。モンテルキは、フィレンツェからバスでけっこう時間をかけて辿り着く、「出産の聖母」が唯一の観光資源であるような村で、ぼくが行った時も、何もないところだけど、元中学校だったというその建物のまわりにだけ、観光バスと観光客があふれていた。絵は、ガラスケースのようなものでがっちりガードされている。
映画では、霧のかかった草原のような場所に車が停車して、そこから深い霧の奥にあるらしい教会へと向かって歩いてゆくのだけど、モンテルキは、坂の多い石畳の街だったという記憶がある。
タルコフスキーは、この絵はこんなところにあるべきではないと思ったのかもしれない。この絵は、観光客のためにではなく、もっと素朴な信者たちのためにあるべきだ、と。実際にこの絵は、サンタ・マリア・イン・ノメンターナ教会というほとんど壊れている教会の礼拝堂に描かれていたもので、二十世紀のはじめまでずっとそこに放置されていたという。
で、何が言いたいのか。だから『ノスタルジア』に映っている「出産の聖母」は複製品で、本物ではない。タルコフスキーは、模型とか模造品が実は好きで、オリジナルにはあまりこだわらない感じがある。この「場所」そのものが作り物のイメージなのだ。だから、「この絵はここにあるべきではない」と思ったというより、ちょうどいいイメージだから引用したということかもしれない。『ノスタルジア』に出てくる故郷ロシアの風景も、おそらくイタリアのどこかで撮影されたはず(亡命したのだからソ連で撮影はできない)。一見、頑固で生真面目なオリジナル至上主義のようにみえて、実はまがいもの大好きな感じがあって、インチキ魔術師みたいな映像トリックや空間的イリュージョンを好んで使ったりする。とはいえ、インチキ魔術師みたいな手法でつくった映像に宿る聖性のようなものを、真面目に信じているのだと思う。そういうキワキワな感じがたまらなくいいのだった。
(フィレンツェに滞在しつつ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの代表作といえる壁画「十字架の黄金伝説」が描かれたサン・フランチェスコ教会のあるアレッツォ、画家の生地であるサンセボルクロ、そして画家の母の生地であり「出産の聖母」のあるモンテルキの三か所を廻るのが、ピエロ・デッラ・フランチェスカ好きの定番コースだ。)