07/11/01

●本を読むために喫茶店に入り、席についたら、背中側の隣りの席から、やたらと耳にからみつくような喋り方をする声が聴こえてきて、席を選択を誤ったと後悔した。背中側なので姿は見えないが、中年の夫婦らしくて、夫の方が一方的に喋っていて、妻の方は相づちをうつくらいだ。夫は、独り言みたいに勝手に喋っていて、妻の反応を確かめるように、最後に必ず、ねえ、お母さん、ねえ、ねえ、と言う。妻の相づちがないと、いつまでも、ねえ、ねえ、ねえお母さん、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、と続け、しかもだんだん声が大きく、不快だという調子を含ませるようになってゆく。ねえ、の変わりに、なあ、だったり、え、え、え、だったりもする。
話の内容にではなく、その粘るようなしつっこい調子がどうにも耳についてしまう。どうやら、飼っている猫が手術をしなければならないらしく、その夫はしきりにそれを、かわいそうだ、と言い、何故よりによってうちの子が、とか、うちの子は何か神様に悪いことでもしたというのか、うちの子はあんなにいい子なのに、と嘆いているのだが、その後に、ねえ、お母さん、ねえ、ねえ、ねえ、と相づちを強要したかと思うとつづけて、今日オープンしたばかりだという団子屋の悪口を言い、あんなので新規オープンて言うんだから笑っちゃうよな、全然人いないよ、アンコの量が少ないって文句言ってやれよ、なにがサービスだよ、なあ、なあ、そうでしょ、ちょっとお母さん、ねえ、ねえ、なあ、おい、と言い、また、リンちゃん、なんてかわいそうなんだ、今晩はリンちゃんと一緒に寝てあげなくちゃなあ、それで明日は元気に送り出してやらなくちゃ、ねえ、お母さん、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、と言い、つつけて、石油の値上げで今日からいろいろ値が上がるという話になり、麺類、カレー粉、ねえ、値上げだって、値上げ、カレー粉、ちくわ、え、ちくわだってよ、ちくわ、ねえ、お母さん、ねえ、麺類、カレー粉、ちくわ、ねえ、ねえ、ねえ、と言ったかと思うと、どこかへ電話したらしく、あっ、どうもお世話になります、○○です、実はうちの子が病気で、入院することになりまして、え、いや、猫です、猫ちゃん、リンちゃん、それでアヤちゃんとはしばらく会わせてあげられなくて、はい、術後の経過がよければ一週間で帰ってきますので、またその時はよろしく、ええ、そうです、そうです、ではまた、と電話を切り、すいません、すいません、すいません、すいません、すいません、と、大声でしつこく繰り返してウエイターを呼び、ええと、ガムシロップとミルクをもう一つずつもらえますか、いや、それぞれに一つずつ、つまり二つずつ、そうそう、それだけ、はいよろしく、と言い、あの子は優しい子なのになあ、なんでよりによって他の子じゃなくてうち子がなあ、かわいそうになあ、なんでかなあ、でも元気に送り出してやらないとなあ、がんばってくるんだよって、ねえ、はやく帰ってリンちゃんに会いたいなあ、ねえ、そうでしょ、ねえ、お母さん、ちょっと、ねえ、ねえ、ねえ、あ、母さん、雨あがったみたいだよ、ねえ、雨、雨やんだ、母さん、やんだよ雨、雨やんだ、ほら、雨、ほら、母さんほら....。
おそらく、場違いに声がでかいということや、独り言のように勝手に喋っているということや、同じことを何度も繰り返すということよりも、自分の発言に対する反応を相手にしつこく強要する粘っこい調子が耳につくというか気分に引っかかるのだと思う。ぼくが、こういうことをここに書くというのは、話し声が耳につくという受動的な状態を、書くための観察モードという能動的な状態に切り替えることで、ネガティプに耳がひっぱられる嫌な感じを解消しようということなのだろう。それは、軽い悪意の発動に対し、書くことを意識することによって悪意を解消することであろう。(かわいがっている猫の病気という事態に対する動揺が、妻への依存の感情を普段以上に波立てているのかもしれないのだ、と思うことも出来るようになる。)
それにしても、奥さんの方も、わざわざ反応を遅らせている気配があった。自分が反応を返さなければ、いつまでもしつこく、ねえ、ねえ、ねえ、と押し続ける人だということは夫婦なのだから当然分っているはずなのに(いい加減に相づちを返した方が鬱陶しくないのは分ってるはずなのに)、あえて反応を返さないというところにもまた、軽い悪意の発動を感じた。この反応の遅延は、奥さんの軽い復讐でもあるのかも(復讐とはつまり、発動してしまった悪意を解消させるためのものだ)。しかし夫の方は、決してその悪意を察知することはないのだろう。
●これらのことは、すべてぼくの背中側で起こったことであり、ぼくはこの夫婦の姿を、ほんの一目も見てはいないのだった。