07/12/08

●『恋愛睡眠のすすめ』(ミシェル・ゴンドリー)をDVDで。特別に面白いってことは全然ないけど、ミシェル・ゴンドリーってこういう人なんだろうなあ、というのが凄く感じられて、これはこれでいいんじゃないかと思った。『エターナル・サンシャイン』はアメリカ映画だから、商品としてちゃんとヒットするようなものとしてつくられていたと思うのだけど、この映画は割と好きなようにつくっている感じで、それがこういう感じに納まってしまうところが、ミシェル・ゴンドリーという人の凡庸さをあらわしてもいる。ちょっと初期の大林宣彦を思わせるような作風で、素朴なアート系の人という感じ。つまりこの人は、自身のこだわりを追求するというような意味での「作家」としては割と平凡であまり面白くなくて、ミュージック・クリップみたいに、外側に制約が強くあるなかでこそ(絶対的なテキスト=規則が別にあるなかでこそ)、突き抜けた面白いものがつくれるような人なのだろう。
それにしても、シャルロット・ゲンズブールって、いくつになったのだろうか。映画を観ていて、なんかこの人みたことあるなあ、と思っていて、途中で、もしかしたらシャルロット・ゲンズブールじゃないだろうか、と思って、映画がおわってから確かめたらそうだった。なにか凄くいい感じで「普通っぽく」なっていた。スターとか、芸能人とかではなくて、そこらへんに普通に歩いている人が、たまたま「職業は俳優です」みたいな感じ。
それに比べると、男の子の方(ガレル・ガルシア・ベルナル)がちょっと格好良過ぎる感じがする。物語上の役としては、冴えない男の子の話なのだけど、「見た目」的には、カッコイイ(かわいい)男の子と、(おそらく男の子より年上で)特に美人というわけではない女の子という風になっているのは、一方では、この映画が観客を主に女性と考えてつくられているからだろうけど、もう一方では、ミシェル・ゴンドリー自身の自己イメージが「ナイーブでかわいい男の子」だからなのだと思う。この映画では、例えば、夢のなかで書いた手紙の内容を、何故か現実の女の子が知っているという、頭の中味がその外側へと流れ出てしまうような、(「恋愛」的には奇蹟かもしれないけど)ある意味とても気持ちのわるい状態を扱っていながら、それが結局、「ナイーブでかわいい(かよわい)ぼく」の自意識の問題へと収斂されてしまうところが、つまらないと言えば、イマイチつまらない。(ミュージック・クリップが面白いものになり得るのは、その自意識を音楽という外側の規則が突き破ってしまうからなのだろう。)
とはいえ、「ナイーブでかわいいぼく」という自意識が、手作りのクラフトみたいな形で、物質的な手触りを通して示されているので、まあ「許せる」というか、微笑ましい感じになっていて、嫌いではないのだけど。ケミカル・ブラザースやカイリー・ミノーグのPVでは、手作りクラフト的な「あたたかみ」を手放すことによって(それは音楽によって促されたのだろう)、「気持ちの悪い」領域にまでぐっと踏み込んでいたと思うのだけど、この映画では逆に、決してそれを手放さないところが、物足りないのと同時に、いいところでもあるのだと思った。