●ギャラリーで、磯崎憲一郎さんと対談。磯崎さんがかなりとばし気味だったことに引っ張られて、ぼくもおそらく普段喋る速さよりもかなり早口になっていたように思う。対談というより磯崎さんの話を聞くという感じになって、ぼくは話を聞きつつ、適宜、話題を振るということくらいしかしていないと思うのだけど、それでも磯崎さんの話に着いてゆくために頭の普段あまり使わない部分をかなり高速で使っていて、人前で話をすることの緊張もあって、終わったあと、がっくりと疲れる。虚脱状態というか、ほとんど上の空で、普段から自分が無愛想であることは自覚しているけど、それから何割か増しにさらに無愛想だったと思われ、対談終了後に話しかけてきて下さった方々、不快に感じたらごめんなさい。もう、いっばいいっばいだったので。帰りの、終電近い混雑した電車のなかでは、自分が今「ここ」に居るということさえ現実感がない、というくらい疲労していた。帰宅後、からだはぐったりしているのに、頭の芯に興奮が残っていてなかなか眠れず、まったく興味などないF1の中継を、今、画面のなかで何が起こっているのか把握しないまま、ただぼんやり眺めていた。
●磯崎さんの話で、ウォークマンをはじめとする携帯型音楽再生機はとても偉大な発明で、通勤電車のなかで、多くの人がiPodなどで音楽を聴くことが出来ることによって、どれだけ多くの無差別殺人のような事件が事前に抑止されているのかと思う、という発言が、とても磯崎さん的で感動した。磯崎さんの言う、「世界の肯定的な力に奉仕する」というのは、たぶんそういうことなのだろうと思った。