●お知らせ。今日発売の「新潮」五月号に、ぼくの書いた「中学生以上と小学生以下、現世と冥界/福永信論」が載っています。原稿用紙で約54枚。「新潮」に発表した作家論は、青木淳悟論、岡田利規論についで三つめになります。
最近になってたまたま福永さんの「ここ」(「新潮」2007年12月号)という小説を読む機会があり、それがとても面白くて、それをきっかけに初期作品から読み直してみて、改めて福永信という作家を再発見して興奮し、「新潮」の編集部に、「福永信論って、書かせてもらえないですか」とこちらからもちかけることで、この文章は実現しました。とはいえ、福永さんの作品の多くは本になってなくて、この文章でとりあげてもいる、「五郎の読み聞かせの会」(「群像」2004年9月号)、「ここ」、「三カ所」(「WB」連載中)といったすぐれた作品も、それらを読むためには雑誌のバックナンバーを探すしかないです。でも、そのような面倒な手間をかけてでも探して読むかいのある、とても面白い小説(群)だと思います。
そもそも、「小学生以下」の系列の作品のABCDシリーズは、様々な媒体に散発的に発表されたものがバラバラにあって、それをいちいち探し出したり、その都度偶然のように行き当たったりして、読む、という読み方が最も作品にふさわしい読み方で、これを作品にふさわしい形で本にまとめるのはとても難しいように思われます(例えば、一冊一冊、それぞれ、作品の配列が異なる、とか)。
大妻女子大学からの封書が、青土社から転送されてきた。ぼくの本で、横尾忠則について書いた部分が、短大の家政科の入試問題に使われたとのことだった。問題をみてみて、まあ、試験問題としては大して難しいものではないと思うけど、内容的にみて、短大の家政科を志望するような人が入試問題としていきなりこんな文章を読まされたら、「なんだこれ!」っていう感じで、かなり面食らうんじゃないかと、ちょっと気の毒に思った。
●いろいろな人が参加するお花見に参加させていただく。いろいろな人が、たくさんの人がいて、目が白黒する。