●可能涼介さんから本を送っていだいた。文藝賞のパーティーでお会いした時、本を送るから住所を教えてくれと言われていたのだった。可能さんは、本人のイメージと「可能涼介」という字面のイメージとがどうしても一致せず、目の前にいる人が可能涼介だと知っているのに、「可能涼介」という感じがしない。可能さんとはじめてお会いしたのは、三年前、映画作家の野上亨介さんに誘われて行った忘年会でだった。
今度、アテネフランセで上映会をするので、そのリーフレットに文章を書いて欲しいとメールが来て、そのための試写の会場で、野上さんとははじめてお会いした。そこにはぼくの他に、稲川方人さんと井土紀州さんがいた。三人のための試写だった。稲川さんとは二回目で、はじめてお会いしたのは映画芸術の編集部で、その時稲川さんは編集室のソファーで寝ていた。そしてそこでもまた、試写室のベンチで寝ていたのだった。井土さんとはその時がはじめてだった。井土さんは、ぼくと稲川さんを見て、「画家と詩人て…」と言った。
野上さんとはその後も行き来があり、野上さんの映画にぼくのドローイングが使われたりもした。ぼくのドローイングが(ほんの一瞬)使われた映画が早稲田大学で上映された時に観に行って、確かそこで、今度、井土監督たちと忘年会をするから来ないかと誘われた。「いづちかんとく」が「いづつかんとく」に聞こえて、一瞬、えっ、なんで、と思ったが勿論違った。そしてその忘年会で可能さんとお会いした(という前後関係を可能さんと話していて思い出した)。
その忘年会は、「重力02」の解散式みたいな意味もあるもので、野上さん、可能さん、井土さんの他に、大杉重男さんがいた。大杉さんは「偽日記」を読んでいると言った。確かほかにも、井土さんの映画学校の学生とかもいたと思う。忘年会の流れで、野上さんのアパートで飲むことになって、朝まで飲んだ。そして、そのアパートの野上さんの部屋の隣に、可能さんは住んでいるのだった。野上さんの部屋に行ってから、飲み会は何故かさらに人数が増えていた。
「あのアパートはもともと学生寮だったんで、落書きがいっぱいあるんだけど、あの時、古谷さんが落書きを熱心にじーっと見ていたのは憶えてるんですよ」と可能さんは言った。しかしぼくは、落書きのことはあまり憶えていない。まだ、みんな寝ている朝はやくに目覚めてしまって、共同の炊事場で勝手にインスタントコーヒーをつくって飲んでいる時、可能さんが起きて隣の部屋から出てきて挨拶したという、ぼんやりした場面の記憶がある。昼過ぎになってぼろぼろの状態で帰る時、電車で一緒だった井土さんの学生(確か荒井晴彦に師事しているという人)に、デプレシャンの『キングス&クイーン』を薦めたことを憶えている。
その後、可能さんとは、去年と今年の文藝賞のパーティーでお会いした。「古谷さん、そんなに貧乏だったら、もう誰かとくっつくしかないですよ、この会場で探しましょう」と言ったので冗談として笑って流していたら、可能さんは本当に、「この人お金ないんで結婚してやってください」「結婚してるなら愛人でいいから」と声をかけはじめたので困った。