●上野の、芸大のすぐ裏にある市田邸で、鳥公園『おばあちゃん家のニワオハカ』(作・演出、西尾佳織)。面白かった。基本的に、女性の作・演出家によってつくられ、女性の俳優たちによって演じられる女性たちの話なのだが、その中心にいる「おばあちゃん」の役だけは男性の俳優によって演じられるというような、内容とそれをあらわすフィクションの形式との微妙な距離の感覚というか、なまなましい主題をフィクションとして着地させる時の非常にやわらかい筆触感というか、そういうものによって、魅力的な作品になっていると思った。
複数のスタイルが、あまり整合性はない感じで混在しているのは、そこが面白いとも言えるし、それによってやや冗長になっているとも言えると思うけど、でも、もう少しつめていければ(整理すれば、ではなく)、もっとシンプルに、もっと短く(作品にふさわしいスケールからすると、上演時間はちょっと長すぎると思った)できるのではないかとも感じられた。でもそれは、まだもっと面白くなり得る潜在的な可能性を、この作品自体が秘めているということだと思う。
市田邸という古い日本家屋が上演場所とされ、二間ある部屋の仕切りをとっぱらって、一方に座布団が置かれて客席となり、もう一方に、ちゃぶ台や仏壇などが置かれて舞台となる。上演前は、舞台の方の部屋に置かれた古いラジカセから、AMラジオの音が流されている。トイレは、舞台となる部屋の奥にあり、トイレに行く時は舞台を横切って行く。さあ、上演がはじまる、という時に客席が静かになると、木造建築そのものが軋む音や、外を吹く風の音(強風の日だった)、すぐ前の道を通る車の音がはっきりと聞こえてくる。客席から、閉まった障子の中程に挟まれたガラス越しに庭が見え、風で揺れる緑が見え、塀の向こうを走る車の屋根も見える。上演中もそれはずっと見えつづけている。劇中では庭の空間も利用され、戸を開けて庭から俳優が入ってくると、外を吹く風が舞台や客席にも吹き込んでくる。昼間の上演を観たので外は明るく、それに対し(劇場ではないので)室内の照明は弱く、舞台上は普通の部屋のように薄暗い感じ。
以上のように、ものすごくリアルに民家であり、舞台装置も、そこがリアルに民家であることを異化するようなものはなくて、つまり普通に人の住んでいるところへ上がり込んでいる感覚なのだが、その、民家が民家であること、その古い建築物そのものがもっているその場所そのものという力が強くあって、その場所で、どのようにフィクションとしての「劇」を立ち上げ、成立させるのか、という点では、もう少し策があってもよかったのではないかとは感じた。そのような場所のもつ拘束力というのはすごく強くて、そこを「学校」や「徹子の部屋」に見立てたりするのは、ちょっと難しいのかなあとも感じられたのだ。それが不可能だとはまったく思わないけど、演技の組み立て方などに、もう少し上手い方法があるのではないか、と(つまり、そこは普通に劇場で演じるやり方とあまり変わらなかったのではないか、と)。とはいえ、「徹子」のパフォーマンスそのものはすばらしかったのだが。(鳥公園の公演は23日までやってます。)
●あたたかくて強風の吹き荒れる、いかにも春らしい、ざわざわした感じの日。上野へ向かう時、中央線は強風で遅れ(電車のなかでいきなり、一時的に花粉症の薬が効かなくなって鼻水がとまらなくなった)、乗り換えようと思ったら山手線は人身事故で止まっていた。京浜東北線が通っていたので問題なかったけど、なんかざわついてるなあ、と思った。上野公園はすごい人出だった。上野駅から芸大へと向かう道を歩いていると、いつまでたっても受験の時の感じを思い出してしまう。そういえば、芸大の発表って今頃のはず。芸大の入試の結果って、あたたかくなる頃にようやく出るのだった。