桜木町駅から横浜美術館へ。エルンストと中平卓馬を観た。京浜東北線で上野へ。芸大美術館で高橋由一を観た。日比谷線で東銀座へ。MEGUMI OGITA GALLERYで硨島伸彦を観た。東京駅方向へと歩き、八重洲ブックセンターに寄って本を買う。東京駅から東海道線で帰る。これだけでまる一日かかる。朝九時過ぎに出て、夜九時過ぎに帰る。
桜木町や恵比須で動く歩道にのるたびに、古くなった未来(昭和四十年代に想像された未来)の中に入ってしまったような気分になる。
高橋由一はあの狭い芸大美術館に人がびっしりつまっていて、おちついて観られなかった。最後の週末だから仕方ないけど。
●芸大から上野駅にもどる途中にちょっと回り道して、「見張りの男」(磯崎憲一郎)に出てきた科学博物館前のシロナガスクジラ(小説ではザトウクジラになっている)の模型を見た。





●硨島くんの展示はとても良かった。最近出版された『きこえる?』という絵本の原画展なのだがぼくはまだ絵本を見ていなくて、きっとギャラリーで買えるのだろうと思ったがギャラリーでは販売していなくて、八重洲ブックセンターで探したのだけどなかなかみつからない。絵本の売り場の配置は普通の本と違って新刊本が最も目立つようにはなっていなくて、むしろロングセラーというかマスターピースのような「おなじみ」のやつが目立つようになっていて、本当は普通の本もこういう風に売るべきなんだよなあと思いつつも見つからず、ないのかなあと諦めかけて、文庫の売り場を一回りしてから、もう一度だけ確かめようと戻って棚の隅から指をさしながら探すと、見つからないように隠れるみたいにして一冊あった。
『きこえる?』を探している時に『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』というタイトルの背表紙を見つけておーっと声を出しそうになった。これは小学校一年生の時、はじめて学校の図書室で借りてはじめて「最後まで読めた本」だ。そしておそらく、その後も何度も借りて読んだ。小学校は、普通の三階建ての鉄筋コンクリート校舎が二棟あり、それとは別にプレハブ建ての校舎もあったのだが、さらに校庭の片隅にぽつんと古い平屋の木造校舎が残されていて、一年生の確か五クラスほどが木造校舎を教室としていた。木造の教室は他よりも広く、外に板張りの廊下があり、廊下から一段低くなったところが三和土になっていて、その先に壁があり窓があった。だから通常の廊下の二倍以上の広さでゆったりしていて、天井も高く、廊下は半分屋内で、半分屋外のような感じだった。そして埃っぽかった。木造校舎とつながって大きな木造の講堂があり、講堂のすぐわきに、低学年用の本だけが並ぶ(ちゃんとした図書室とは別の)小さな図書室があった。重たいガラス張りの引き戸を軋ませながら開くと中は教室の半分より小さな部屋で、記憶では大きなストーブが部屋の真ん中にあった気がする。半分吹きさらしのような廊下から入ると紙の匂いがこもっているのとぼうっした暖かさを感じたという記憶がある。背の低い本棚が壁の三方に並び、もう一方はカウンターだった。絵本や図鑑、それからマンガで読む偉人伝や科学の図解などが置いてあった。ぼくは低学年の頃はほぼ図鑑しか借りなかったと思うのだが、『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』は何故か繰り返し読んだ。本をよく読む子供ではなかったが、多分、その部屋にいるのは好きだった。
本を手に取ったとたんに、そのような空間や空気の感触がだーっと蘇った。こんな本がまだ売っていたのかと思って奥付をみたら、「1961年8月1日 発行 2012年1月15日 第124刷」と書かれていて、「絵本ってすばらしいなあ」と思った。
●引用、メモ。電車のなかで読んでいた『解明 M・セールの世界』より。
《そう、炎のゆらめきは、その軽快さゆえに力を発揮します。固体ではない物体はすべて弱さの側につきました。力や固さを用いてよりも、弱さを使ってのほうがずっとたくさんのことができます。柔らかいもののほうが固いものより持続します。そうなんですよ! 主要な進化は、落ちこぼれのおかげで成し遂げられるのであって、とりわけダーウィンの進化だってそうですし、おそらく歴史上のすべての進化がそうなんですよ。(…)落ちこぼれっていうのは、貧乏人らのことであり、のけ者たちのこと、もっともみじめな者たちのことだということも、どうか忘れないでください。神学者も哲学者も、神の属性のうちに無限の弱さというものがあることを忘れてしまったんじゃないかとまで思えます。》
《われわれの肉体は弱く、精神は傷つきやすく、前身は不確かですし、われわれのあいだのもろもろの関係はいつまでもはっきりしないし、われわれの行為は肉と言葉と風から成り立っている……。そしてあとの残りは全部、耳をつんざくほどです。強者たちの宣伝によってね。強者たちは、自分たちがすべてをつくりだしていると思い込んでいるんですが、その実戦争だけ、つまり死と破壊だけ、断片への回帰しかつくってはいないんです。原子の不完全で致命的な起爆力を探し求めているのは、こういう大人たちなのです。》
《流体、大部分の生き物、もろもろのコミュニケーション、諸関係、これらのうちには固いものは一つもありません。壊れやすく、取り乱し、流れ、いまにも最初の一陣の風で消えてしまいそうです。姿を消し、無に立ち戻ってしまいそうです。自然は、ひ弱な子供のように生まれますし、生まれるでしょうし、まさに生まれようとしています。》
《人間はありとあらゆる弱さの母なのです。言葉は赤ん坊の泣き声から、生命は偶然の出会いから、思想は一時的なゆらぎから、科学は一度ぱたっと音を立ててすぐに消えてしまう直感から生まれます。生命も思想も、無と隣り合わせで生きています。》
《もう一度言いますが、炎のゆらめきです。生きている肉体はこのように揺れ動き、生命というものはすべてそうなのです。弱さと脆さとが、その奥底の、もっとも大事なところに横たわっています。わたしは子供を誕生させようとしているのです。》