●もうちょっと、「過去の話」(磯崎憲一郎)について。
この小説は、一九八三年に二十歳だった「私」が、《長く続いた恋愛に敗れ傷つ》き、京都を訪れるエピソードを中心にして、それより前の十代の出来事と、それよりやや後の二十代の後半か三十になったばかりの頃の出来事が語られる(一九世紀のオオウミガラスの話などもあるが)。しかし、終盤のドバイのホテルの場面では時期を指定する記述がなく、地震の話題が出されるなどのことから急速に「現在」に近づく印象がある。ドバイのホテルは、《私が今まで登ったことのある一番高い建物》として登場する。この、急速な(現在への)時間的接近と視点の上昇(地上一〇二階と一四八階)は、一見、この小説のクライマックスであるかのような印象を与える。「私」は、フロントのある一〇四階のカフェで外の景色を見ながら、この建物は《恐らく五十年、下手をすると三十年で解体する前提で》建てられているはずで、《一人の人間の寿命よりはるかに短い、しかしたったそれだけの時間を逃げおおせれば勝ちだと思っている連中が、この世界には我が物顔でのさばっている》と強い否定の感情をもつ。しかし、一四八階の部屋へ通されると、《安っぽいところ、手抜きと思われるようなところが一箇所もみつからな》いその部屋に満足し、《こんなに高級な部屋に泊まっているのだということを誰かに自慢したくて堪らない自分に気づいて、その誰かとは誰なのかとよくよく考えてみれば、それは他ならぬ過去の私じしんであるらしかった》と感じ、《すっかり満足して良い気分になって》眠ってしまう。そこへ、窓掃除のためのゴンドラがさらに上から降りてくる。だからこの場面では、現在への時間的な急接近と視点の高所への急上昇があるだけでなく、否定から肯定への感情の大きな落差と、その落差をさらに高所から見下ろしているかのようなもう一つの超越的視線の存在がある。
しかし、このいかにも仕掛けられたかのようなクライマックスは、その後の場面、京都からの帰りに奈良に立ち寄った二十歳の「私」(過去の私じしん)によって相対化される。この時に見た東大寺の大仏殿こそが、あらゆる客観的な計測を越えて、どんな巨大な建築物よりも大きく、それは「山」と比較されるほどのものなのだ、と。つまり前の場面は偽のクライマックスであり、過去の私じしんに自慢したいと感じた「私」は、その過去の私じしんの眼差しから折り返されて相対化されてしまう。
(記憶のなかで複数の「私」が入れ子になって、「私」に対する「私」の関係が複雑になる。)
●そして、最後のブロックでは、客観的な計測や比較がさらに否定される。ぶっきらぼうに《最近》と書きだされるが、この「最近」は小説内の他の部分との比較によって計測される「最近」ではなく、たんにこの小説が掲載されている「文学界」が発売された時期からみて「最近」ととる以外にその位置を決める指標はない。しかし、その「最近」であるはずの温泉旅行へ向かう列車の製造年が「昭和五十六年」とされる。三十年以上前に製造された列車が、「最近」もまだ走っているものなのだろうか。さらに、ケネディが暗殺された昭和三十八年に「私」は既に三歳になっていたとされるが、八三年に二十歳になる「私」であれば、昭和三十八年(六三年)は生まれた年であるはずなのだ。しかもこの三歳の「私」は両親に対し、この顔が怖いから、もうケネディの顔の載っている本は家にもちこまないようにと《家族会議のような面持ち》で主張するのだが、三歳の子供にそれが可能なのだろうか。
●とはいえ、このケネディを(そして、その後の本棚を)めぐるエピソードは、「最近」の温泉旅行の時に「母」によって語られた話として提示されていて、「私」の記憶ではないようなのだ。だが、にもかかわらずいつの間にか「伝聞」であるという距離感が消失して、それが「私」の記憶であるかのよう(それと同等に)に語られることになる(このような出来事=距離の消失の前触れとして、京都の女が話すオオウミガラスの話があるのではないか)。つまり、一貫して「私」の記憶が語られてきたはずのこの小説のラストの部分は、「私」の記憶ではなく、母の記憶であり、母からの眼差しによって捉えられた場面(「私」)であるはずなのだ。
これによって、冒頭のブロックの終盤(昨日引用した三つ目の視線)で、駅のロータリーから立ち去る(「私」を見ていない)母を踊り場から見ている「私」という構図(配置)と、(ゼロ歳であるはずのときに三歳であった)「私」が知らない「私」を見ている母という構図(配置)とが同型となり、前者の「私」の視線と、後者の「母」の視線とが、反転的に関係して、小説が閉じられる、のではないだろうか。