2022/04/13

●「新潮」5月号で「霊たち」(三国美千子)を読んで、「新潮」の2021年2月号を引っ張り出してきて「骨を撫でる」(三国美千子)を読んだ。

(「青いポポの果実」は未読だが)これら二作は「いかれころ」とあわせてサーガを形成していると言っていいと思う(人物名が違うし、設定も微妙に違っているが、あきらかに土壌を共有した作品群だ)。大阪南東部の郊外の町の旧家の、今にも崩壊しつつあるが、それでもなお人を強く縛り付ける濃厚な親族関係や土地の人々の関係を背景として、そこに生きる人々が描かれる。おそらくこの作家は、日本の地方の古い地縁や親族関係を中上健次並みに濃厚に生々しく(忌むべきものであると同時にどうしようもない愛着のあるものとして)描くことのできる(現時点で最も若いという意味で)最後の作家なのではないかと思う。「骨を撫でる」は特に強く中上健次を感じた。

「いかれころ」では娘(子供)の視点から描かれた「母」が、「骨を撫でる」では母自身の視点で語られ、「霊たち」では再び娘の視点となるが、ここで娘は結婚して土地を離れており、母は既に亡くなっていて、(夫が仕事で留守がちで)知り合いのいない土地で孤独に「子供」とだけ向き合いつつ、未だ「西」からやってきた「霊たち」にとらわれつづけている。

(「いかれころ」では語り手である「娘」が奈々子、「母」が久美子だが、「骨を撫でる」では「娘」が日南子で、「母」がふき子、「霊たち」では「娘」が阿子となっていて、作品によって名が異なる。また、1983年が舞台の「いかれころ」では、実家の「離れ」に住むのは母の妹である志保子だが、2001年が舞台の「骨を撫でる」で実家の奥の「新築」に住むのは母の弟の明夫とその妻である。つまり、古い離れ住み、婚約を拒否する妹だった人物が、新築に住む、結婚した弟に置き換えられている。だがどちらの場合も、この離れ=新居に住む者が「一家の問題児」であることは同じだ。)

「いかれころ」では、四歳の娘の視点から、主に母と母の妹(叔母)の関係が描かれるが、「骨を撫でる」では、五十歳になった母の視点から、自分自身のことに加え、母の母(敏子)と母の弟(明夫)の関係が描かれる。四歳の娘は母に反発し、母に批判的だが、四歳であるため母への強い依存のなかにあり、批判そのものが依存に基づいている。また、母は、「母の母」のもつ「(だらしない)母の弟」への過剰な愛着に批判的だが、母自身もまた弟に強い愛情をもってしまっていて突き放せない。つまり、誰もが関係そのものに対して批判や憎悪をもつと同時に、どうしようもなくそのただ中にあり、それへの強い愛着から逃れられない(というか、自分が嫌悪している環境こそが、自分自身の「地」を形作っている)。しかし、母は「自分はこの環境のなかでしか生きられない」という諦めのなかにいるが、娘は「この環境」から抜け出そうと模索するという違いがある。

今のところ三作あるサーガが、たんに土壌を共有しているだけでなく、次作が前作の読み替えであり、批評ともいえるものになっているという点も中上健次的だ。

(とても切ないことに、「骨を撫でる」の母が、自分が存在するための環境=家を、つまりは「母の母」と「弟」とを守るために必死で行動するにもかかわらず、次作の「霊たち」では、そんな「母のお骨」を一族の墓に入れることが---母があんなに愛着を感じ必死で守ろうとした当人である---「娘の叔父(=母の弟)」から拒絶され、行き場を失うのだ。)

(とはいえ、優柔不断でだらしないが故にずるずると借金を重ねる「骨を撫でる」の「母の弟」と、合理的で抜け目のなく冷酷なようにみえる「霊たち」の「娘の叔父(=母の弟)」では、性質がまったく異なる別人のようにも思われる。このように、作品ごとに、共有される部分と異なる部分とが仕掛けられている。)

「霊たち」で「娘」は、孤独に近い環境で「(娘の)息子」と向き合う。息子に対してついつい「母方のものたち」の流儀で接してしまいそうになるのを、娘は《まったく別人のような意志の力でねじ伏せる》ように努める。孤独で、根もない土地での不安定で危なっかしい生活が描かれるが、次第に「西のものたち」の霊が消えていき、霊たちを埋葬して土にかえすところで小説は終わる。

で、この先はどうなるのだろうか。また、別の角度から「西のものたち」の濃厚な関係が描かれるのか。それともこの作家にとっての『地の果て 至上の時』や『日輪の翼』(「路地」消滅以降の作品)が書かれるのだろうか。期待して待ちたい。

●追記。「いかれころ」について書いたテキスト。

note.com