●まだ半分くらいしか読んでないのだけど、柴崎友香「わたしがいなかった街で」(「新潮」4月号)がなんかすごくいい感じ。
いや、いい感じという言い方は適当なのかどうか…。雰囲気的には今までのこの作家の小説ではかつてないほど重くて、(少なくとも前半の)トーンは「あーあ、この先どこまで行ってもきっと先細りだよ」的な感じだし、内容的にも、三十代半ばで離婚した女性が部屋でずっと戦争のドキュメンタリー観てて、「なんであそこにいるのがわたしじゃないんだろう」と思ったり、「あーあ、わたしはいろいろダメだなあ、友達のおかげで救われてるけど…」と思ったりするみたいな感じ(すごくいい加減な要約です)なのだけど、描かれていることの重たさにもかかわらず、読んでいて最初に感じられるのは「自由だなあ」という感覚とか、今までのスタイルから突き抜けた解放感、みたいな感じなのだ。
それは技法的に、一人称が自然に拡張されて(逸脱して)ゆく感じとかもあるのだろうけど、それ以上に、題材に対する態度の自由さという感じだと思う。タッチが自由になったというか。あと、主人公や、中井、有子、加藤美奈みたいなキャラクターは、今までの小説のなかにも繰り返し描かれてきたと思うけど、その全員が皆パワーアップしているというか、彫りが深くなり、キレが増している感じ。
シリアスでネガティブでさえある話なんだけど、そういう話を語る時に陥りがちな「硬直した感じ」が全然なくて、かといってそこから目を逸らすのでもなく、世界は全然キラキラしていなくて曇天つづきなのだけど、まあ、それはそういうものとしてOKなんじゃん、みたいな感じ。いや、簡単に「OKじゃん」と言うような現状肯定でもなくて、「わたしはいろいろダメだなあ」と書いたけど、この感じも、自虐的でも鬱々としてもいなくて、しかしがんばってなんとかしようという感じでもなくて、きっとこれはかわらないし、それはある程度仕方ないとも思うけど、でももうちょっと上手くなんとかなるやり方もあるんじゃないかな(友達を見ていていろいろ教えられるところもあるし)的な感じ。世界は曇天つづきだし、というか絶望的でさえあるかもしれなくて、わたしもいろいろ上手くいかないけど、でもそういう世界も充分にすごいじゃん、みたいな。
イケイケな感じでもないし、絶望的な諦めの調子でもないし、悟って飄々としている感じでもなくて、やはり「自由な感じ」としか言いようがない。自由だからといって色々なことが上手くいくとは限らないけど、そのいろいろ上手くいかない状態の受け止め方がすごく自由だという感じ。だから自由というのは、状況を超越している(悟って飄々としている)と言う意味ではなく、状況のなかで、その対処の仕方が柔軟であるという感じ。
●主題的にも、この作家が今まで描いてきた様々な主題が複雑に織り込まれているのだけど(時間と空間の複雑な織り込みもまた「自由だ」と感じさせる一因だと思う、あるいは、時間と空間の折り込みこそが自由なタッチを生んでいるのかも)、それはもうちょっとちゃんと読み込んでから考えたい。まず、最初にすーっと半分くらい読んだ感想として、なんかタッチがすごく自由だなあ、みたいなことを感じたのだった。