●用事があって実家へ。最寄り駅からバスに乗る。バスが駅のロータリーを出て、最初の交差点をゆっくりと左に曲がり、「次は銀座通りです」というアナウンスが流れる。それを聞きながら窓の外を見ている。メイン通りの商店街の入り口にある銀行の建物が薄暗い照明にぼうっと浮かんでいる。この感じは遠いものであり、なじみのものでもある。
実家を出てから23年になり、だからいろんなことが変わっている。駅のロータリーは工事で様変わりし、実家へ向かうバス乗り場の位置も変わった。メイン通りのアーケードも以前とは違う。でも、基本的な空間の構造はあまり変わらない。建物は変わっても土地を区切る区分は変わらないし、道路が整備されてもその広さはかわらない。空間に染み着いた匂いのようなものがどうしてもある。物が明確に見える昼間であれば、見えている物の明確さの方が匂いよりも強くたちあがるのだが、暗くなった夜に帰ってくると匂いの方が強くたちあがる。見えている物の明確さは今、ここをたちあげるけど、匂いの濃厚さは記憶に接続される。
記憶といっても、実家に住んでいる頃には日常的に乗っていたバスなので特定のエピソードが思い出されるのではなく、環境に充満するある「なじみ」の感触が起動する。そしてそれは、その前まで連続していた「現実」の層と合い入れない別の層をたちあげ、二つの「地」が明滅するような競合関係に入る。「現実」の層の側からみれば、匂い-なじみのチャンネルから侵入してくる過去の感触はエラーとして検知され、匂い-なじみの側から見れば、バスに乗る以前まで連続していた現実の流れがエラーとして検知される。それはどちらか一方には統合されず、つまり今、ここがうまくたちあがらず、自分が、「間違った記憶のなかに存在している」ような感覚におそわれる。