●コミュニケーションというものが基本的に紋切り型の交換であり、人の生の多くの部分が紋切り型の反復でできているとすれば、そこに、良い紋切り型と悪い紋切り型とを分ける必要が生じてくる。
例えば、天気の話や季節のあいさつは良い紋切り型であろう。また、慣用句やことわざ、枕詞などは、良い紋切り型として選ばれ、残り、伝えられてきたものであろう。野球の話や相撲の話も、かつてはそうだったし、今でもある程度はそうだと言えるだろう。「刑事コロンボ」や「男はつらいよ」、「アンパンマン」や「ドラえもん」などもまた、良い紋切り型なのだろう(例えば宮崎駿は、紋切り型に納まらない危険なところが多分にあるので、いかに大衆性があろうと、ここには入らない気がする、そこにあるのは突出した特異性であり、同時に特異性をも超えてしまうような何かで、良くも悪くもそれは「芸術」の側にある)。また、ある種の青春(思春期)ストーリーなどもそうかもしれない。それらは、退屈とも思える安定のなかに、ある豊かさや深さ、含蓄などを湛えたものとしてある。
対して、あたかもそこになにがしかの真実や革新があるかのような顔をしているが、実はそこにあるのは扇情とそれへ従属があるだけであるようなもの――しかもそこには同型の構造の反復の支配があるようなもの――として、悪い紋切り型はあるだろう。つまり、悪い紋切り型の多くが「<新しい>というパッケージのついた何か」としてやってくる。「新しいという価値観そのものがもはや古い」というような種類の新しさ=紋切り型がある。しかもそれは多くの場合、正しさや真摯さ、切実さ、公平さ、真面目さ(あるいは未来や希望)という衣装をまとっている。政治的語彙に頻出するような紋切り型、お説教に使われるような紋切り型、あるいは、自由や解放にまとわりつく紋切り型、あるいは「現代」を語ろうとする大部分の批評的言説…等々。
●毒にも薬にもならない、たんに退屈なだけの紋切り型というのもある。紋切り型の大部分が(ということはわれわれの生の大部分が?)これかもしれない。だからこそこれらが少しでも「良い」ものであることはかなり重要だと思う。
●例えば「アイドル」は良い紋切り型なのか悪い紋切り型なのか、というか、良い紋切り型であり得るのだろうか、という問いをたてることが可能だ。これについてはよく知らないので何ともいえないけど(ぼくは懐疑的だけど)。
●紋切り型は、ある程度共有された、自動的に作動する思考と納得の形式であり、感情の形式ですらあるだろう。人も社会も八割がたは紋切り型(の交換)で出来ているとすれば、社会について、あるいは生活について本気で考えようとするのなら、紋切り型について考えることを避けられないと思う。そのような意味で、紋切り型を、紋切り型に過ぎないと切って捨てるのは怠惰だとも言える(ある種の人は――ぼくなどもそうなのだが――紋切り型が交換されることの重要性をしばしば軽視する)。社会の様々な制度について、政治について考えるよりもむしろ、紋切り型について、それがどのように作動(作用)するのかについて考える方がずっと「社会のため」にはなると思う。あるいは、「良い紋切り型」を生産しようと努力すること(これはフィクションの問題だろう)、とか。
●ここで、紋切り型を「習慣」と言い換えることも可能かもしれない。あるいは、ある程度であるならば「趣味」とも言い換えていいのかもしれない。回帰し反復する「穏当なもの」。それは自動的に作動するので、齟齬がない限りほとんど意識されない。でも、齟齬もまたありふれてある。
●良い紋切り型の「良い」とは、社会にとって(それは、社会に住む人にとってということだ)良いということで、「真理」とも「美」や「面白さ」とも別の基準だろう。だけど、それらと矛盾するとは限らない(しないとも限らない)。
●とはいえ、そうは言っても、紋切り型という範疇では語れない作品があり、経験がある。ぼくが興味をもつのはどうしてもこっちの方だ。というか、「こっち」の方も、それを無視して生きることは実は誰にもできないのではないかと思うのだけど。紋切り型が重要だとしても、それだけでは足りない。例えば、「ポニョ」と「ドラえもん」とは同列には語れない、あるいは、同列に語ってしまったら消えてしまうものにこそ「ポニョ」の凄さがある(個人的なことを言えば、ぼくが生まれて初めて読んだ漫画が「ドラえもん」だし、「ドラえもん」に対する思い入れは相当あるし、好き嫌いで言えば「ドラえもん」の方が圧倒的に「好き」なのだけど、そういうこととは違う価値観が――あるいは力が――ある)。勿論、どちらが偉いとかいう問題ではなく、こっちとそっちとは別の経験である。あるいは、こっちをそっちに混ぜて一元化することは出来ない。
●「こっち」といっても別に特別なことではない。繰り返すが、紋切り型の齟齬はそこここにあらわれる。紋切り型だけでは散歩もできない。