いまおかしんじ『川下さんは何度もやってくる』をDVDで。いや、これは完璧にすばらしい。ぼくのなかでは、この映画はドライヤーの『奇跡』に匹敵するくらいすばらしい。この映画は、これはこういう形でしかありえないというような、完璧な形をしているのではないかと思った。おそらく低予算とタイトなスケジュールでつくられたことに起因すると思われる「粗さ」でさえも、この映画ではそれがすっぽりとハマっていて、作品としての、形式としての、必然性へと昇華されている。
(いまおかしんじ監督の映画をすべて観られているわけではないけど、観られたなかでは割と最近の、『おんなの河童』『百日のセツナ』は、正直、イマイチかなあと思っていたのだけど……)
ファンタジーというのはこういうことであり、人がフィクションを必要とするというのはこういうことなのだなあと思った。人が生きている限り、その必然として、脳はこのようなものを分泌するし、そのような分泌物によって生きることが可能になる。だから、夢のように幸福であり、夢のように痛切だ。ファンタジーのリアリティーとはそういうもので、この作品は、そういうものとして、とてもシンプルで、最もうつくしい形をもち、とても強い説得力をもつ。
(ある意味、強力なホモソーシャル性をもつ映画なのだけど、それが全然嫌な感じではない。嫌な感じではないのはお前が男だからだろう、と言われるのかもしれないけど。
追記。ホモソーシャル性をもつというのはまったく適当ではなかったと、後から反省した。ある意味、いまおかしんじの映画ほど女性に優しい――というか「甘い」といった方がいいのか――映画もめずらしい。溝口健二とかとは対極にある感じ。あまりに男同士で仲がいい映画なので、そのことを見失ってしまっていたが、ミソジニー的な感覚はまったくないと言っていい。そしておそらく、同性愛嫌悪のようなものもない。)
主役の佐藤宏は、幽霊でもなく、ゾンビでもなく、体をもって戻ってきた死者(魂)という感じにぴったりで、魂と体が微妙にズレている感がとてもリアルで(素人っぽいぎこちない演技ということもあるかもしれないけど)、この人の存在がこの映画に、まるで夢のようなリアリティーを与えているようにも思えた。
(もうけっこういい歳をした幽霊――という言い方も変なのだが――が、実家にいて、幽霊になっていること自体が既にとんでもないことなのに、「親が起きてしまう」ということを気にしているところとか、そういうちっちゃい細部――そのアンバランスさ――がすごくリアルだということもある。)
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