電子書籍『フィクションの音域 現代小説の考察』は、自主制作ですが、フリーソフトと無料サービスだけを使って自分一人でつくったので、制作費はゼロ(だから自費出版という感じではないです)。
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この本の制作と流通に関して今までのところでぼくが支払ったお金は、BCCKSに対して支払った、アマゾンなど多くの電子書籍ショップで取り扱ってもらうための手続きを代行してもらう手数料の540円だけです(そこも自分でやればよかったのだけど、面倒だったので日和った)。電子書籍についても、本の編集についてもまったく何もしらない素人が一人で手さぐりでつくったので、手間はそれなりにかかっていて大変ではあったのですが、お金はかかっていません。そもそも、電子書籍をつくってみようと思ったきっかけは、電子書籍は、自分一人だけで、しかもタダでつくれる、と知ったことでした。これはそういう種類の実験でもあるわけです。
要するに、誰も協力してくれなかったとしてもボッチでできる「一人ぼっちメディア」の可能性はどの程度のものなのかやってみよう、という実験、という側面が強くあります。一人で路上でいきなりギターを弾き出して、ちゃんと人に聴いてもらえるのか、みたいな。
まず第一には、その場その場ではかなり一生懸命に書いているつもりの(かなり面白いはずだと自分では思っている)「書評」が、次の月が来て雑誌が本屋さんからなくなるとともに、実質的には誰も読めない状態になってしまうということに対する悲しさのようなものがあり、とはいえ、自分の「商品価値」を考えれば、書評が本になることは現状ではありえないという認識もあって、それらをなんとか読めるような形に出来ないかという気持ちはずっとありました。
ウェブにアップするという手が最もてっとりばやいわけですが、何というか、もうちょっと彼ら(書評たち)を丁寧に扱うような、「整った」形式はないだろうか、と。そこで、電子書籍ならどうだろうか、と。
自分一人で、制作費ゼロでつくったものなので、リスクはゼロと言っていいと思います。とはいえこれが、「電子書籍をつくってみました」体験で満足して終わるというものではなく、自分一人で、制作費ゼロでつくったもので、どれだけちゃんと人に読んでもらえるのか、ぶっちゃけて言えば、どの程度「お金」になり得るのか試してみよう、という実験、という意味もあるわけです。なので、「宣伝」のような、苦手で明らかに向いていない(気が重い…)ことも、(誰かがやってくれるわけではないので)自分で考えてやらないといけない……。
(自分一人で、とはいっても、文芸誌に掲載された原稿なので、そこには依頼から校閲まで多数の他人の力が既に介在してしるし、名の知られた作家の小説について書いているのだから、「作家の名前」の力にも乗っかっているわけですが。ただ、ぼくは別に「自律」を目指しているわけではまったくなくて、現状の自分に出来る範囲で何が出来るのかを考えているということなので、乗っかれる他人に力に乗っかることに抵抗があるというわけではないです。「電子書籍はタダでつくれる」という事実自体が、現代の技術やネット環境に依存しているわけだし。むしろ、乗っからせてくれるのなら、他人の力にはどんどん乗っかりたい、乗っかれる環境があるなら、いろいろ乗っかっていきたい、という感じです。)
電車に乗って辺りをみていると、多くの人がスマフォやタブレットPCを持っているのだし、人が本を読む時間の多くが通勤や通学の時間なのだとすると、鞄に重たい本を入れるよりも電子書籍の方が手軽なのではないか、例えば、電子書籍ならドストエフスキー全集のすべてだって持ち歩けるわけだし、という感じを最近はもつようになっていました。電子書籍で「書評」なら、その本が気になれば、読んでいる端末を使ってすぐにネットで買うこともできるので相性も良いのではないか、とか。
しかし、「電子書籍をつくってみようと思う」と事前に何人かの人に言ってみると、誰からも等しく、「現状では電子書籍はまったくお金にならない」という返事をもらいました。実際にリリースして一週間くらい経って、その答えがいかに正しく、想像していた以上に厳しいものかということを、ひしひし実感しているわけですが。