●深夜アニメ。『放課後のプレアデス』。この作品の大きな設定は、あくまで小さな物語に奉仕するためだけにある、というコンセプトなのだろうか。
すばるとみなととはかつて、既に出会っていた。かつての出会いの場所が病院であることは、みなとがもともと温室に閉じこめられていたこととも通じていて、みなとがきわめて死に近い位置にいることを示している。この物語が平行世界モノであることが匂わされていることとあわせれば、物語世界はそもそも、病弱な少年みなとの妄想(あるいは死につつある時の夢)から生み出されたものだった、という感じに展開になるのだろうか。ちょっと『銀河鉄道の夜』みたいな感じに。
しかしもう一方に、すばるとあおいとの関係という軸もこの物語には強くあるので、それを考えるとみなとの妄想説だけに作品世界を収斂させるわけにはいかない。
この物語はそもそも、すばる(とあおい)と魔女たち(+宇宙人)という軸があり、すばるとみなとという軸があり、この二つの軸がどう関係するのかがよく分からないままで進んできた。当初、二つの軸はまったく交わらずに平行していた。というか、すばると魔女たちの軸に、みなととそっくりで魔女たちを邪魔する謎の少年が、みなとの反映のような存在としてあらわれていた。この場合、すばるとみなとの二人だけの世界は、例えば死に瀕しているみなとの見ている夢のようなもので(すばるが、みなとの閉じた夢の世界に入り込んでしまっている)、もう一方の、魔女たちの世界は、意識不明になって夢をみているみなとの無意識の力が現実世界に作用して、世界に歪みが出てしまっている(その影響で宇宙人が出現した)、という風な解釈をすることで、二つの軸の関係を推測することはできる。
つまり、すばるとあおいとの関係は現実世界の内側にもともとあったもので、みなとの存在は、世界そのものの枠組みを揺るがす力だということで、レベルの異なる二つの軸が作用しているという解決を考えられる。すばるは、そのどちらのレベルにも関係していることによって両者を媒介する主人公である、と。すばるは階層性を破ってしまっているのだが、それは主人公の特権というとで、これは割とわかりやすい構図だ。
しかし途中で、すばるとみなとの二人だけの世界は消えて、世界は一元化し、魔女たちの世界にみなとがあらわれた。夢(上位階層)と現実(下位階層)の二元論が成り立たなくなって、メタレベルのものがオブジェクトレベルに降りてきたようなことになっている。このことによって作品世界はかなり難解になる、はずなのだけど、それによって作品が急展開する感じもなく、かなりひねった構造のなかでも、今まで通りに小さな「いい話」を語りつづけている。これがとても不思議な感じだ。
これを、「ユニークで面白い」と言っていいのか、たんに「作品の構造が混乱している」と言うべきなのかは、まだ分からないけど、ひきつづき、つづきを観続けないといけないなあという感じではある。
●『長門有希ちゃんの消失』。長門さんの人格は「メガネ」に宿っていた、ということなのか。キョンが部室で読んでいた本は、『旅のラゴス』(筒井康隆)なのか。