●「虚の透明性」というのは、世界のなかの多様性ではなく、それ自体として多様性のある世界そのものの多数性のことで、つまり多世界性ということなのだなあと思った。
セザンヌを観るとき、我々はイーガンの「無限の暗殺者」のような世界にいる。「無限の暗殺者」は、世界の多数性を経験するというのはどういうことなのかを、リテラルに描いている。
●夜中にNHKのBSで、冬の平均気温がマイナス五十度にもなるという、地球上で人間が住んでいる場所でもっとも寒いシベリアの村のレポート番組をやっていた。凍った川に穴をあけて釣りをすると、釣った魚がその場ですぐに冷凍になる……。
普通に考えて、わざわざそんなところに住むのは、かつて何かの争いに敗れ、敵に追われて逃げてきた人達の子孫ということなのだろう。とはいえ、他にまったく土地がないというわけでもないのに、「そこ」にずっと住み続けるというのは、誰もわざわざそんなところに住みたいとは思わない場所に上手く適応できれば、他の誰とも争うことなく幸せに生きてゆける、ということなのではないかと思った。
とはいえ、そんな場所にも外国(日本)のテレビ局が取材に来る。高度に情報化、ネットワーク化した世界は、「誰とも争うことなく生きてゆける」場所をなくしてしまう。