●ぼくは基本的には左利きだけど、矯正された左利きだ。箸は右手で持つ。絵は左手で描く。文字は、左右どちらでも書ける。
ふと思っただけだけど、矯正された左利きは、形式(抽象)主義的な傾向をもちやすいのではないか。右と左という価値(自然に選択される扱いやすさ)をいったん保留し、相対化した上で、意識的に反転させる、ということを、物心つかない頃から強いられるから。左手で箸を持つと、「お箸の手はそっちじゃないでしょ」と直され、左手で鉛筆をもつと、「鉛筆の手はそっちじゃないでしょ」と直される。この繰り返し。
とはいえ、左右は完全に対称というわけにはいかない。右手で絵が描けないことはないけど、やはり左手で描いてしまう(右手の方が下手ということはたぶんないと思うけど、左手の方がずっと描きやすい)。それに、文字を書くときも、右手で書くのと左手で書くのとでは感覚がことなる。右手で書く文字は、手の動きとして記憶されている感じだけど、左手で書く文字は、図像的に、イメージとして記憶されていて、それをなぞるように手を動かす感じになる。左手だとわりあい容易に鏡文字が書ける(時々、どちらが正しいのか混乱する)。どちらかというと右手の方がやや書きやすいと感じるが、書き易さという点では左右でたいした違いはない。