2021-08-09

カフカの『審判』として広く出回っているのは、カフカの死後、マックス・ブロートによって編集されたもので、ブロートの意図が入ってしまっている。それに対して、カフカの研究者たちによって、よりカフカの草稿に忠実な「史的批判版」の全集が出ていて、たとえば以前は『アメリカ』と呼ばれていた小説は今では『失踪者』となり、『審判』はたんに『訴訟』というタイトルになっていて、日本語に翻訳もされている。で、その史的批判版からの翻訳である『訴訟』(丘沢静也・訳)をみてみた。

たとえば、前回の保坂和志の小説的思考塾で取り上げられていた、第六章「叔父・レーニ」の章の冒頭。まず、岩波文庫の辻ヒカル訳。

《ある日の午後---Kはちょうど郵便締切のまえで非常に忙しかった---書類を運びこんでくる二人の子使をかきわけて、田舎の地主であるKの叔父、カールが部屋にはいってきた。Kは叔父の姿を見ても、もうかなり前に叔父が来ることを想像して驚いたときほどには驚かなかった。この叔父が絶対にやって来るだろうとは、もう一か月もまえからKの確信になっていたのだ。当時もすでに、叔父が少し前こごみになり、ぺちゃんこになったパナマ帽を左手にして右手はもう遠くから自分にむかってさしのばし、あたりかまわぬ乱暴な急ぎ方で、じゃまになるものは何もかも突き倒しながら、机ごしに握手してくるそのありさまを、目のあたりに観る思いだった。》

ここは《Kは叔父の姿を見ても、もうかなり前に叔父が来ることを想像して驚いたときほどには驚かなかった》という表現に驚かされる、『審判』のなかでもかなり面白い部分の一つだと思われる。

ついで、丘沢静也訳『訴訟』。章の番号が省かれ、「叔父・レニ」となっている。

《ある日の午後---ちょうど郵便物の締め切りの前で、Kはとても忙しくしていたのだが---、書類をもってきたふたりの秘書のあいだを押しのけて、田舎の小さな地主である叔父のカールが部屋にとびこんできた。しばにらく前、叔父がやってくると知らされたときは驚いたが、今回は叔父の姿を見ても、それほど驚かなかった。叔父がやってくるにちがいない。すでに一か月ほど前から、Kは確信していた。すでにその頃から、ちょっと背中の曲がった叔父の姿を見ることになると思っていた。つぶれたパナマ帽を左手にもち、まだ離れているのに右手をKに突き出し、邪魔になる者はひっくり返しても気にせず、大急ぎで、デスクの上から握手を求めてくる。》

辻ヒカル訳にある文章としての面白さが消えてしまっているし、意味が違ってしまっている。《叔父が来ることを想像して驚いた》という、えっ…「想像して驚く」ってどういうこと、と立ち止まるところが、《知らされたときは驚いた》という、意味としてもまったくひっかかりのない滑らかな感じになっている。なんというか「普通」だ。

ただ、新訳の方が最新の研究なども参照しているだろうから精度が高いはずで、もしかすると、辻ヒカル訳の面白さは、ある種の翻訳の不手際みたいなものによって生じているのではないかと不安になる。いやさらに、ぼくが「カフカのデコボコした面白さ」と感じているものの多くが、翻訳の強引さによって生まれているという可能性もなくはないのでは、と不安になる。

不安になっても、ドイツ語が出来ないので原文に当たれない。なので、英語訳をみてみる。Project Gutenbergにある、Wyllie, David訳。

《One afternoon - K. was very busy at the time, getting the post ready - K.'s Uncle Karl, a small country land owner, came into the room, pushing his way between two of the staff who were bringing in some papers. K. had long expected his uncle to appear, but the sight of him now shocked K. far less than the prospect of it had done a long time before. His uncle was bound to come, K. had been sure of that for about a month. He already thought at the time he could see how his uncle would arrive, slightly bowed, his battered panama hat in his left hand, his right hand already stretched out over the desk long before he was close enough as he rushed carelessly towards K. knocking over everything that was in his way.》

DeepLによる、その日本語訳。

《ある日の午後、Kは郵便物の準備に追われていたが、田舎の小さな土地所有者であるKの叔父のカールが、書類を運んでいたスタッフ2人の間を縫うようにして部屋に入ってきた。叔父が来ることは以前から予想されていたが、その姿を見たときのショックは、以前の予想をはるかに下回るものだった。叔父は必ず来る、Kは1ヶ月ほど前からそう確信していた。左手にはボロボロのパナマ帽を持ち、少しお辞儀をしておじさんがやってくる様子が目に浮かぶような気がしていた。右手はすでに机の上に伸ばしており、Kに向かって無造作に突進し、邪魔なものをすべて倒してしまうのだ。》

英訳は、辻訳と丘沢訳の中間くらいの感じか。知らされたのではなく「予想された」という点は辻訳に近いが、「予想した時の驚き」が「実際に現われた時の驚き」に勝るという奇妙な感覚はあまりなくて(「予想して驚いた」という感じが薄い)、「予想済みなので実際に現われても大して驚かなかった」という、常識的なニュアンスになっている。

そもそも、「叔父がやってくる」ことを事前に知らされているのなら、実際にやってきても驚くはずはなく、「驚かなかった」などとわざわざ書く必要はないし、叔父がやってくるのを《確信していた》などと書く必要もない(「知らされていた」のに「確信していた」と言うのはおかしい)。だから丘沢訳にはどうも納得できない。

とはいえ、英語訳も辻ヒカル訳にくらべるとずいぶん滑らかで常識的で、デコボコしていたり遠近感が歪んでいたりする感じはあまりないようだ。辻訳の、《少し前こごみになり、ぺちゃんこになったパナマ帽を左手にして右手はもう遠くから自分にむかってさしのばし、あたりかまわぬ乱暴な急ぎ方で、じゃまになるものは何もかも突き倒しながら、机ごしに握手してくるそのありさま》という文章のドタバタした---滑らかな三次元空間が解体されているような、多視点的な---面白さ! 辻ヒカル訳は、原文のカフカ以上にデコボコしている可能性はあるのかもしれない。だとすると、日本語で(辻ヒカル訳で)読むことによって、面白さが何割増しかになっているという可能性もある。それは、日本語でカフカを読めて逆にラッキーだ、ということかもしれないのだ。

青空文庫にある原田義人訳もみてみる。こちらは、「知らされていた」から(「確信していた」、ではなく)「わかっていた」という方向でつじつまが合うように調整されている。でも、(日本語で、だが)カフカを読んでいると、カフカのロジックはそんな常識的な展開はみせないのではないか、と思ってしまう。

《ある日の午後――ちょうど郵便締切日の前なのでKは非常に忙しかったが、書類を持ってはいってくる二人の小使のあいだを押し分けて、田舎《いなか》の小地主であるKの叔父のカールが部屋にはいってきた。彼が叔父の姿を見かけてもたいして驚かなかったのは、それよりかなり前に、叔父がやってくるという知らせを受けてすっかり驚いていたからだった。叔父がやってくるということは、すでに約一カ月も前からKにはわかっていたことだった。すでにそのとき、叔父が少し前かがみになり、左手にぺしゃんこになったパナマ帽を持ち、右手を遠くのほうから自分に差出し、邪魔になるあらゆるものにぶつかりながら、あたりかまわぬ急ぎかたで机越しに手を握る有様が、Kには眼に見えるようだった。》

《彼が叔父の姿を見かけてもたいして驚かなかったのは、それよりかなり前に、叔父がやってくるという知らせを受けてすっかり驚いていたからだった》という文もよく考えると変で、常識的に考えると「驚いた」が二度繰り返される必要はない。《彼が叔父の姿を見かけてもたいして驚かなかったのは、それよりかなり前に、叔父がやってくるという知らせを受けていたからだった》で充分だろう。

意味として考えると、「知っていたから驚かなかった」となるのだが、わざわざ「驚いた」を繰り返している文の形を考えると、「既に驚いていたから、さほど驚かなかった」ということの方に重きが置かれているのだと考えられる。先に驚いた時の「驚き」が強調されている形式なのだ。ならば、先に驚いた出来事と、さほど驚かなかった後の出来事とは、出来事として「同等」のものであると考えるのが適当ではないか。ならば、先に驚かされた出来事は、「知らされた」ではなく、後の出来事と同じ「現われた」になるのではないか。先に「想像上に叔父が現われた」時ほどは、後に「実際に叔父が現われた」時には驚かなかった、と。つまりこの文は、《彼が叔父の姿を見かけてもたいして驚かなかったのは、それよりかなり前に、彼は想像上で叔父の姿を見かけてすっかり驚いていたからだった》、と考えると座りがよいよいに思われる。ロジックとしてはカフカというよりボルヘスっぽいかもしれないが。やはり、辻ヒカル訳が適当なのではないかと思えてくる。