2021-08-08

●お知らせ。VECTIONによる「苦痛トークン」についてのエッセイの第二回めをアップしました。今回は、苦痛トークンというアイデアの元にある思想として、望ましい組織の条件「PS3(Pain, Scalability, Sustainability, Security)」を示しています。

苦痛のトレーサビリティで組織を改善する 2: 組織に対する最小限の理想、PS3

https://spotlight.soy/detail?article_id=rfg5qblw0

A Minimum Ideal for Organization, PS3 / Implementing Pain Tracing Blockchain into Organizations (2)

https://vection.medium.com/a-minimum-ideal-for-organization-ps3-3be1a1fc6f80

●ほとんど放置していて、書き込むことはおろか見ることもなくなってしまったフェイスブックを気まぐれに眺めていたら、ザ・シネマという洋画専用チャンネルのページが広告に出て、なくとなくクリックしてみたら、ヴェンダースの『夢の涯てまでも』の五時間近いディレクターズ・カットバージョンがあるという記事があった。

「監督が望んだ『夢の涯てまでも』究極バージョンへの道」尾崎一男 (ザ・シネマ)

https://www.thecinema.jp/article/988?fbclid=IwAR1UplMGsk-qaVV1IVUmJgdXrULihYbYW-0N5jTCkPD21EqSmQvKBJaCiRk

最近のヴェンダースにはまったく興味がなくなってしまったが、『夢の涯てまでも』のロングバージョンがあるなら観てみたいという気持ちはある。

(クレジットカードがないのでザ・シネマの会員にはなれない。しかし、クライテリオンからブルーレイとDVDが出ていて、日本語字幕も対応しているようだから、観られないことはない。)

『夢の涯てまでも』(1991年)が気になるのは、ヴェンダースのキャリアが、この作品以前と以後とに分けられて、これ以降はっきりとつまらなくなってしまったと思っているから。『パリ・テキサス』(1984年)で作家としての評価を確立しただけでなく、『ベルリン・天使の詩』(1987年)では興行的な成功までおさめて、ドイツの地味なアート系の監督だったヴェンダースが一躍、世界のスター監督みたいになって、おそらく、そのタイミングでなければ決して可能ではなかったと思われるような、大きな予算をかけた大きな企画の映画を作った。そしてその作品がとても微妙だった…(はっきりつまらないとまでは言えない、おもしろくなくはない、しかしそのおもしろさの質がそれ以前のヴェンダースとは違っていて、とこか信用ならないもののように---当時は---感じられた)。

その後のヴェンダースの作品をすべて観ているわけではなく、ぼくの観ている限りでだが、それ以降におもしろいと思えた作品は一つもない。

(それは、たんに「ヴェンダースがつまらなくなってしまった」という以上の、一つの時代の終わりというか、時代の切断面を現わしているように感じられたし、今でも感じている。なにかが不可逆的に大きく変わった感じ。80年代のぼくにとって、ヴェンダースはそれくらい重要な作家だった。)

(相米慎二の『夏の庭 The Friends』を観た時も、同じようなこと---質の変化---を感じた。『夢の涯てまでも』の日本公開が92年、『夏の庭 The Friends』が94年。要するに「80年代が終わった」ということなのだろうが…。)

『夢の涯てまでも』は、予算が大きいというだけでなく、コンセプトの風呂敷も大きく広げた作品で、とても二時間半という上映時間に収まるはずがないのだが、映画会社との契約によって無理矢理それを二時間半に編集するしかなかったのだろう。しかし、それはやってはいけないことだったのだ。もともとゆったりとした時間の流れる長い映画を作る作家で、しかもコンセプトも大きく広げた作品で、つまり、二時間半に圧縮することで、自分自身の資質も、作品の本性も、裏切ってしまって、それによって(「この作品」に限ったことではなく)作家としての自分の良さの多くを失ってしまったのではないかという疑いをもっている。

上の記事によると、『夢の涯てまでも』には、(粗編集した)20時間バージョン、(4時間×2本の映画にしようとプロデューサーを説得するためにつくった)8時間バージョン、(8時間バージョンを絞った)6時間バージョン、(テレビ放送を想定した)5時間バージョン、(ヨーロッパで公開され、日本でレーザーディスク化された)約3時間バージョンなど、様々なバージョンが存在するそうなのだが、公開から約四半世紀後の2015年に、決定版といえる4時間47分のディレクターズ・カット版に至った、と。ただ、できればぼくは、2015年のヴェンダースが手を入れたものではなく、原型というか、91年当時のヴェンダースが構想していたものにもっとも近いだろうと思われる、(4×2の)8時間バージョンを観て、『夢の涯てまでも』の制作過程でヴェンダースになにが起こったのか(なにが変わったのか・なにを失ったのか)を確かめたいという気持ちがあるのだが、それは(映画研究者にでもならなければ)難しいだろうと思う。

そうであれば、(2015年のヴェンダースの意図が入ってしまっているとしても)ディレクターズ・カット版の『夢の涯てまでも』で、二時間半で語りきれなかった(入りきれなかった)残りの部分になにがあったのを観てみたいという気持ちは、今でも少しある。そのくらいに、「あの時代」に対するひっかかりが(今も)ある、ということだ。

(でも、実際に観るかどうかは微妙…。それはあまりに過去になり過ぎた。)