●この三日間、吉本隆明漬け。
●あと、モンテ・ヘルマン『断絶』(71年)、『銃撃』(67年)、『コックファイター』(74年)をDVDで観た。たまたま近所のレンタル店をのぞいたら『断絶』が置いてあるのに気付いて(これ、新宿のツタヤではぼくが行くときはいつもレンタル中なのだった)、へーっ、こんなのがあるのか、と思って借りてきて観たらあまりにすばらしいので、わざわざ新宿まで出かけて『銃撃』と『コックファイター』を借りてきたのだった。
『断絶』は本当にすばらしい。この作品は71年だからヴェンダースの『都会のアリス』(74年、作中にジョン・フォードの死が出てくるからおそらく撮影は73年)よりはやいというのも驚き。ヴェンダースがはじまる以前にヴェンダースを超えてしまっている、というか。ジャームッシュがはじまる以前にジャームッシュを超えてしまっているとさえいえるかも、とか(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は84年)。
(当然だけど、これはある部分超えちゃってるところがあるということで、ヴェンダースジャームッシュに意味がないとかいう感じで貶める意図とかはまったくない。)
ただ、『銃撃』はなかなか面白い西部劇とは言えても(若いジャック・ニコルソンの薄っぺらな感じがすばらしい)、『コックファイター』(撮影がアルメンドロスというのがすごいのだが)はちょっとつらいかなあ、と。もちろんつまらなくはないのだけど、あわないことを無理にやっている苦しい感じがある。この企画をモンテ・ヘルマンに振ったのはロジャー・コーマンの判断ミスではないか。闘鶏が主題で、とはいえ闘鶏のかわりに「対戦もの」なら何を代入してもオーケーというアメリカ映画の黄金パターンの一つを踏襲しているわけだけど、モンテ・ヘルマンは『断絶』や『銃撃』を観てもあきらかに、黄金パターンを踏みつつもそのなかで生き生きとした活劇を作り上げてゆくというタイプの作家ではなく、むしろパターンをぐずぐずにし、活劇の隙間を拡大し、そこに魅力的な空気や時間や空間を流し込んでゆく感じの作家なのではないか(『断絶』のドライブインの空間はすばらしい)。アクションよりも時間-空間という意味で、サスペンスの方が向いているのではないか、と。主人公が喋らない(喋れないわけでも、性質として無口なわけでもなく、もともとおしゃべりなのに意識して喋らない)という設定に、モンテ・ヘルマンが自分の資質を生かせる領域を確保しようと工夫している感じがみえるけど、それもそんなにはうまくいっていないように思えた。
●いや、ロジャー・コーマンからすると、この企画を振ったということは、この業界で生きてゆきたかったら『断絶』みたいな映画は二度とつくるなよとプロデューサーとして釘を刺した、ということなのかもしれないけど。
ロジャー・コーマンの自伝をパラパラみたら、モンテ・ヘルマンは取材の時みんなが闘鶏を見学している時に一人で外にいて、あんなもの見たくないと言ったとか、鶏が戦う場面のクローズアップを撮ってこなかったから代わりの監督をたててそれを撮らせただとか書いてある。プロデューサーと監督の関係…、映画つくるのって大変だなあ、と。
モンテ・ヘルマンの21年ぶりになるという新作のDVDがもうすぐ出るけど、近所のレンタル店に入るだろうか。
●今日の夕空(午後6時から6時10分くらいまでの間)