●新宿でDVDを返却して、そのあと銀座へ出てなびす画廊の杉浦大和展へ。
●「Newton」別冊の「相対性理論とタイムトラベル」(新宿で買った)に載っているリー・スモーリンという人のインタビューがとても面白かった。時間と空間にはその最少単位があり、それらの関係性によって時空があらわれるという「ループ量子重力理論」というのを提唱している人らしい。
この人は学生時代にペンローズのグループでツイスター理論を学んでいて、そこでペンローズから「時間の根本的な問題に興味があるならジュリアン・バーバーに会え」と言われて会いに行ったら、そこで「ライプニッツを読め」といわれたという。
ライプニッツの視点とは、「空間と時間は絶対的でなく、相対的であり、事物の関係性そのものである」という考えです。私がジュリアンと最初に話したとき、ジュリアンはライプニッツを読むべきだ」といって、私が確か「ライプニッツって誰ですか?」と聞き返したのを覚えています。≫
≪相対的な視点とは、いいかえれば「固定した背景をもたない」ということです。私は1984年に発展をとげた「ひも理論」に興味をもちましたが、この理論のひもは「固定された背景の中を動くもの」でした。≫
≪ひも理論が、「固定された背景をもたない理論」ではないことは明らかでした。そこで私は、数学者であるルイス・クレインとともに、ひも理論を固定された背景をもたない形で定式化する研究をはじめたのです。≫
●「固定した背景」を前提としてしまうという問題は量子論においてもかわらない。ここにはおそらく、『魂と体、脳』で、観察者の観察という側面から安富モデルが批判的に書き換えられたり、ペンローズが、観察者の影響を抜きにした、波動関数の自律的な収縮について言及したりするのと同様の問題意識があらわれているのだと思う。そしておそらく、ぼくには、現代芸術のもっとも重要な問題もここにかかわると思われる。
量子論では、まるで研究対象である系の外に時計があるかのように時間をあつかいます。つまり、量子論では、系のなかに時計が含まれないという文脈でしか時間を説明することができません。≫
量子論の通常の方程式は、時間に依存しています。ただしその時間とは、研究対象である量子系の外にある時間です。量子論では通常、研究対象の量子系を、実験室や実験者、そして時計と分離させて考えます。この分離の考えは、ニールス・ボーアのものです。しかし、宇宙全体を研究対象にするときには、この考え方には不備があります。私たちは、あらゆる時計や観察者を内に含む一つの世界を説明したいからです。≫
●「固定した背景」を前提にしないということは、「ある系」の外側(背景)に安定した時計や観察者を想定しないということだ。だとすると、「系」に内在する空間や時間それ自体の自律的な最少単位の存在を想定するという発想になるのも理解できる。時間も空間も非連続的であり、コマ送りのようなものとなる。
≪ループ量子重力理論(の利点)は(…)、空間の量子がつくる幾何構造(スピンネットワーク)の性質と、それが時間とともにどう進化するかが、「スピンフォーム(スピンの泡)」というモデルを使ってわかるという点です。このモデルでは、系の進化や時間は”飛び飛び”のステップを経ることになります。つまり、このモデルでは、時間は「離散的なもの」として説明されます。≫
●しかし、時間の最小単位という考え方は特殊相対性理論と矛盾する。相対性理論では、高速で運動している系では時間の進みが遅くなるのだから。ここで、相対性理論の絶対的な基準として「速度(光速)」だけでなく、そこに絶対的な「振動数」というものを付け加えるというアイデアがでてくる。
特殊相対性理論では、観測者がかわれば、時間の間隔に対する認識もかわります。そのことが矛盾を生みます。≫
≪それは、すべての観測者が認める光速という絶対的な単位があるように、すべての観測者が認める時間の単位が存在するのかもしれない、と考えることです。プランクスケールまで掘り下げると、すべての観測者が認める時間の単位が存在するように、特殊相対性理論の公式が書きあらためられるかもしれない。≫
特殊相対性理論が、速度と(電磁波などの)振動数について、二つの絶対的な基準をもつ理論へと拡張する可能性です。このアイデアは、「変形特殊相対性理論」または「二重特殊相対性理論」とよばれているものです。≫