●これ、すごいな。「相対性理論応用 標高差の精密測量に成功 世界初」(NHK NEWS WEB)。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160816/k10010637291000.html
無茶苦茶に精度の高い時計を使って、時間の流れる速さの違いを測定することで、標高差を割り出すことが可能になった、と。一般相対性理論によって予測される、重力の強さの違いによる時間の進み方の違いは、地球上にいる限り無視してよいくらい微小なものとされているし、実際、普通に生活するには何の影響もない。地球上にいる限り、ニュートン的な時間の捉え方で何も問題はない。
(とはいえ、GPS衛星と地上との時間の進み方の違いは、それを考慮しないと、地図上の位置と実際の位置との間に一日に10キロ以上のズレを生んでしまうという。←『ワープする宇宙』(リサ・ランドール)からの情報。GPS衛星内蔵の時計は、地上の時計に比べて毎秒100億分の4.45秒遅く進むように補正されているという。←ウィキペディアからの情報。)
けど、重力の違いによる時間の進み方の違いが測定可能であるということは、グローバルな基準としての絶対時間ではなく、場所によってそれぞれ異なるローカルな時間という意識を、人々にもたらすのではないだろうか。東大と理化学研究所の間にある、たった標高15メートル程度の重力差による時間の速度の違いが検出可能だというのは、日常的な時空感覚を揺さぶるのに十分なものであるように思われる。とうとう、日常的な時空感覚の相対性理論化が起こるのだろうか。
(この例に限らず、さまざまな場面で計測の精度が上がってくると、それまでは誤差の範囲として無視できていたものに、無視できない必然性が付与されて、それによって「常識」や「直観」が通用しない、その変更を余儀なくされる、という事態があらわれる。それにより、相対性理論や量子力学が日常生活のなかに侵入してくるかもしれない。しかしこの「常識」や「直観」は、社会的な常識という程度の浅いものではなく、長い時間の進化の過程でつくりあげられた生物的な常識と言えるレベルのもので、人がそれをどう越えてゆくのか、あるいは、越えられないのか、越えるべきではないのか、は、とても難しいところだと思う。)
東大で流れる時間t1と、理化学研究所で流れる時間t2との違いを比較するためには、その両者とは独立した第三の場所の時間t3が必要となると思うのだけど、この三つの異なる場所の「異なる時間」の「同時性」を、どのように取り出すことができるのだろうか。
(同時性という当たり前の概念が、相対性理論が絡んでくると、よく分からないものになってしまう。)
●こっちにも記事が。「「時の流れ」の違いで標高差センチ単位測定 東大など「光格子時計」で成功」(ITmediaニュース)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1608/16/news089.html
この記事の図を見ると、t3は使ってないようだ(理研の方に時計が二つあるけど)。でも、この図だけではぼくには原理が分からない。