●今更気づいたのかと言われるかもしれないが、相対論における観測者と、量子論における観測者とでは、「観測者」といっても根本的に異なるのだなと気づいた。相対論(特殊相対性理論)における観測者というのは、たんに起点となる視点であり、その位置(座標系)のこと(要するに視点の相対化のこと)であるけど、量子論における観測者は視点ではなく、観測するこという行為を行うもの(誰かが、あるいは、何かが、観測という行為をするということ)、ということになるのか、と。だから、観測問題が「問題」として残る(観測する行為者としての一人称を、三人称によって対象化し切れない)。