●お知らせ。勁草書房のウェブサイト「けいそうビブリオフィル」で連載している「虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察」の、第八回「相対性理論的な感情 『ほしのこえ』と『トップをねらえ!』」が公開されています。
http://keisobiblio.com/author/furuyatoshihiro/
ニュートン物理学では絶対的な基準である時間ですが、相対性理論によりその地位は相対化されます。特殊相対性理論では、運動している系は静止している系に対して時間がゆっくり進みます。一般相対性理論では、重力が強いほど時間がゆっくり進みます。さらに、あらゆる運動は相対的であり、例えば、地球から高速の等速直線運動で遠ざかっている宇宙船がある場合、地球が静止していて宇宙船が運動していると考えることもできるし、宇宙船が静止していて地球が運動していると考えることもできます。地球を基準とした場合、遠ざかる宇宙船の方が時間がゆっくり進むように見えますが、宇宙船を基準とした場合、地球の方が時間がゆっくりすすむように見えます。この、どちらもが「正しい」のです。
さらに、ニュートン物理学では自明であった「同時性」という概念が揺らぎます。地球を基準とした場合の宇宙船との「同時」と、宇宙船を基準とした場合の地球との「同時」が食い違うのです。同時が、同時ではなくなります。同時性は、観測者の位置によって(主観的に、ではなく、物理的に)異なるのです。このような事実は我々の常識や直観とは相容れませんが、しかし相対性理論は既に、GPSなど、我々が日常的に接する技術に使用され、組み込まれています。つまり、我々は相対性理論的な世界のなかに住んでいるのです。
今回は、そのような相対性理論的な世界観が、物語に、あるいは物語によって生み出される感情に、どのような影響を与えているのかという点について考えます。『ほしのこえ』(2002年)に関しては、物理的には成り立たないはずの「同時性(同期)」を、どのようにして、意味的、虚構的に作り出しているのかという点について、『トップをねらえ!』(1988年)に関しては、「同時性(同期)」が成立しないという前提を受け入れたこの物語において、各観測者間の非同期的なズレを伴う「再会」にどのような意味が見出され、そこでどのような感情が生み出されているのかという点について、考えています。
●『壁抜けの谷』(山下澄人)を読み始めた。すごく面白い。いや、これすごい小説なんじゃないだろうか。もったいないので今日は半分くらい(「8」まで)にしておくのだけど、すいすい読める、肩の力が抜けた感じがとてもいい方向に作用していると思った。徹底していて、かつ、軽い。この、軽さというか、場面の移り行く感じに対する執着のなさ、が、すごい。
(日本におけるラテンアメリカ小説の影響を、最もユニークな形で昇華させた、というような外側からの尤もらしい言い方も可能だと思う。作者がそんなつもりでは書いていないとしても。まだ半分しか読んでないで言うのだけど。)
最初、二段組みであることに驚いたのだけど、おそらく、改行が多いので、こうしないとページの下半分が白くてしかも妙に分厚い本になってしまうからこうなったと思われる。紙も薄めで、本も厚くない感じが、この小説に合っていると思った。