●JRの最寄りの駅から歩くと家まで4、50分かかる。歩く時いつも通る道の一部が、小学生の時に自転車で図書館に行く時にいつも通った道と重複している。地元に越してすぐは、その道を通る度に多少の「懐かしさ」のようなものを感じていたが、今では日常的によく通る道に過ぎない。
駅からの帰り道、ぼんやり考え事をしながら歩いていたら、いつも通るその道の一本手前で曲がってしまっていた。しばらく歩くと違和感があり、間違えたことを自覚した。そこは、いつも通る道より四、五十メートルくらい南にずれていて、いつも通る道とほぼ平行して伸びている道であるはずだから、そのまま進めば問題はない。
違和感があって間違えたことに気づいたと書いたが、その違和感とは実は「強烈な懐かしさ」だった。あまりの「懐かしさ」の強さに、小学生の時にいつも通っていたのはこっちの道だったのではないかという疑いが生じた。しかし、その風景には全然見覚えがない。この「強烈な懐かしさ」は記憶とまったく関係がなく湧き上がったものだ。別の場所と類似しているという憶えもなく、デジャヴとも違う。ここを通った憶えがないのに、ただ強く懐かしい。それに、実家と図書館との位置関係からして、こっちの道を通るのは不自然な遠回りになるということも、この道が図書館への道ではないことの根拠となる。
この「強烈な懐かしさ」は、この道が途切れ、直交する道へと曲がっていつもの道に戻るまで持続したけど、その原因は分からなかった。見覚えなどないのに、眼に入る風景や建物のことごとくを、ずっと、とても懐かしく感じていた。