●散歩にもいろいろ種類や質の違いがあって、目に入ってくるもののいちいちが新鮮に感じられたり、積極的に馴染みのない道を選び、いままで通ったことのないルートを探ろうという意欲に満ちている時もあれば、いつもの道をなんとなくぼーっとただ歩くという時もあるし、ずっと考え事をしていてろくに風景も見ないで歩いていることもある。意識が外に向かって開いている時もあれば、歩くという行為そのものへ関心が向き、歩くという行為のなかを歩いているようなこともある。それでもからだを外にもってゆくと部屋のなかとはまったく異なる刺激があり、意識化されない地面の傾斜や踏み心地の変化への身体の対応もあれば、意識的に見聞きしなくても自動的にはいってくる視覚、聴覚的感覚もある。光の量や射す角度、気温や湿度、風の向きや強さの変化も、意識していなくても受け取ってはいるはずだ。単純に気分がかわるし、一日の時間の流れを仕切り直すことも出来る。
何も考えずにぼーっと歩いたり、あるいは考え事の方に没入しながら歩くときは、だいたいいつもの決まったコースを自然にとることになって、最近ではそれは、部屋を出て、坂の多い丘陵地帯を大回りで上り下りして隣りの駅までゆき、そこで線路を渡った反対側へ出て、今度は蛇行しているけど平坦な川沿いの道を帰ってくる、という感じになる。普通に歩いてだいたい二時間ちょっとくらいで、帰りに駅前のスーパーでついでに買い物をしたりすると、二時間半くらい。今日は雨が降ったり止んだりだったので、傘をもってゆき、でも風が強かったのでけっきょくはほとんど差さないままで歩いた。歩きながらずっと映画作家についての原稿のことを考えていた。具体的に考えるというより、いくつかの要素を頭に浮かべてころころ転がし、どこかで「ふっと抜ける」ところを探している感じ。「抜けどころ」が見えた、と思っても、帰ってパソコンの前に座って書こうとすると消えてしまっているということもしばしばだが。
原稿は十九枚くらいまでいった。あとは着地部分。これからはちょっとじっくりと。